2020年で創業95周年を迎えた呉市にある中元本店。「トビキリ上等なラムネをつくる」と創業者である中元庸(いさお)さんの思いを引き継ぎ、現在4代目の社長を中元順一朗さんが務めています。社長としての仕事と同様に、地域との関わりも大切にする中元さんに、これまでの活動や経営に対する思いについて伺いました。
常に研究された「トビキリ上等なラムネ」を
中元本店は2020年で創業95周年を迎えられたんですよね。
中元:そうなんです。大正14年に「トビキリ上等なラムネをつくる」という思いで始まりました。創業当時のラムネのレシピの帳面には“常に研究してよりよき製品を大衆に受け入れられるものを心掛けなければならない”と書いてあるんですよ。
現在ロゴとして使われている「トビキリ」は創業当初からある言葉だったんですね。
中元:昭和7年にラムネ鑑評会会長からいただいた賞状にはトビキリマークが描かれており、当時から「トビキリ」の愛称で親しまれてきました。戦後になり、うちはラムネの製造はもとより漬物の製造も始めました。当初は良かったのですが、年月を重ねるごとにロゴが統一されていなくて商品のイメージ的に違うブランドだと思われていたんです。だからもう一度ブランドの意味を考え直して、創業当初からの思いも大切にしながら、デザイナーさんに型に落としてもらって新しくロゴをつくったんです。
中元:大和ミュージアムができた当初、戦艦大和の乗務員だった方にうちのラムネについて聞いてみたことがあるんです。ラムネは戦艦でも飲まれていたんですが、17歳で志願兵として乗った方は、お酒やたばこの経験がないから「ラムネだけが唯一の楽しみだった」と言われておりました。いつの時代もラムネは人に楽しんでもらえる存在でありたいと思いながら、現在も新しい楽しみ方や喜び方を探求し活動をしています。
先程もお話しに上がりましたが、ラムネ以外にも漬物や佃煮も販売されていらっしゃいますよね。
中元:そうなんです。僕の曽祖父母がラムネをスタートさせて、戦後に「海のものや山のものを使って地元の良さ引き出した食品をつくりなさい」ということで、漬物と佃煮の製造を始めたんですよ。今と違ってお米をすごく食べる時代で、味がはっきりした漬物や佃煮は当時飛ぶように売れていたみたいです。
ラムネの魅力は「デザイン」から
中元:大学を卒業して、父親の知り合いの紹介で、3年ほど広島の会社で働く予定だったんですけど、自分で電話して断ったんですよ(笑)。中元本店で働き始めて10ヶ月くらい経った頃に違う世界を見てみたくてバックパッカーでヨーロッパの方へ旅に出ました。1ヶ月くらいで帰国して、中元本店に戻りましたね。
そうだったんですね。社長に就かれたのはいつだったんですか?
中元:8年前ですね。父親としっかり話をしてから社長に就任したんですけど、1年経った頃に僕が急病で生死をかけた緊急手術をすることになってしまって。もうダメかと思っていたけどなんとか命を取り留めることができたので、せっかくなら価値があることをやりたいとそのとき思ったんですよね。
そんなことが…。それからはどんな点に価値をおいて考えるようになったんですか?
中元:消費者に喜んでもらえる商品やサービス、それが上手く伝わってワクワクしてもらうためにもデザインはちゃんと力を入れていくことを意識するようになったんですよね。
パッケージのデザインって一番に目につく重要なポイントですもんね。
最初のお話で出た「トビキリ」のマークも今風にデザインされたということでしたが、ラムネのラベル一つ一つにこだわりがあり商品づくりしていると聞いています。
中元:新商品をつくるときは、外部の人の意見などを聞いたり、こんな商品をつくりたいと相談しています。僕とは違った視点で考えてくれますし、はっと気付くことがあるんです。最近でしたら、デザイナーさんとマーケティングの専門家と料理研究家の先生などと一緒にオンラインで相談させていただいてます。いつも刺激的ですね。
全て中元さんが入って企画、運営されているんですね。
中元:そうですね。最近は特にコロナ禍ということもあり、いろんなことにチャレンジしています。人に会う機会が減ったのでその分多くのことを詰め込んで仕事をしていました。例えば、ネット環境の構築も一つですよね。
たしかにオンライン会議など仕事のやり方が変化しましたよね。
中元:あとは、ネットでのブランディングと販売が昨年の課題ということもあり、写真や動画にも力を入れているんです。SNSでお客様が商品を見たときに心に響いてもらわないと意味がないと思っています。苦戦中ですが、問題点は見えているので、あとはやるだけです。商品開発においては、オープンイノベーションにより骨格を固めて、ある程度話が固まってきたら、徐々にスタッフも入れて進めていきます。
それぞれの商品につくり手の思いが込められているんだと実感します。
中元:たくさんつくれる会社ではないので、一つ一つの費用がすごく掛かっても、丁寧に物をつくって商売をしようと思ったら、その魅力を伝える材料の一つとして「デザイン」があると思うんです。今はデザイナーと相談しながら、自分たちのつくりたい物をしっかり伝えて、ちゃんと形に落とし込めるようにしていますね。
中元:業界に染まっちゃダメだなと思っていて、消費者とどこまでで近づけるのかということを常に考えています。
このように商品開発をするなかで、ラムネなどを広めるためにどういった活動をされていたんですか?
中元:友達と一緒にイベントを企画しました。夏の思い出になるようにアナログな体験ができる夏祭りをしたんですけど、約5,000人くらい来てくれたんです。ラムネの早飲み競争を毎年やっていて、いつも大盛り上がりなんですよ。
呉の町を盛り上げるために幅広く活動されていらっしゃるんですね。
中元:そうですね。うちは食品を製造する会社だから、まずはここの町が盛り上がらないと意味ないなと思っていろんなイベントをやっています。他には観光の勉強会に参加したり、いろんな地域の行事の会長もやっていて。マーケティングセミナーの会長とか、PTA会長も7年やっていました(笑)。
中元:そんなことはないですけど、PTAはなぜかずっとやっていましたね。小学校の創立の節目の年には、子どもたちに自分を大事にしてもらいたい、そんなプライドを持ってもらいたいと思って、動画を作成しました。児童と先生と保護者と地域の人たちの「好きなもの」をテーマに、アンケートをとって一からつくったんです。形にするのは大変でしたが、無事、YouTubeにもアップして遠く離れた大先輩にも見ていただくことができました。何かやるときは、それによってどんな効果があるかを考えるようにしています。
「懐かしさ」と「ストーリー」を大切に
2025年には創業100年を迎えられますが、100年目に向けて何か目標はありますか。
中元:実は瓶入り飲料の可能性を少し諦めていたんです。昨年参加したJ R西日本さんの『てみてプロジェクト』で、新商品の開発を地域産品でもある『ちりめん』でしたいと思っていたのですが、「なぜ歴史のあるラムネで新しい価値のものをつくらないのか」と問い直されたことをきっかけに、95周年としてこれまでになかったラムネの開発を始めたんです。あと5年で100周年、ラムネもそうですが、これまでのことを大切に、でも新しい可能性も信じて、多くの人々の喜びを増やすことに関係していきたいと思っております。
たしかに瓶飲料ってかなり減ってきていますね。でもそれがラムネの魅力だと感じています。
中元:そうそう。形がいいとか、開けたときに泡が出て香りがするとか、皆さん楽しい思い出が多かったんです。どんな形にすればお客様に飲んでいただけるか、訴求できるかと改めて考えてつくったのが、お酒の割り材としての『ラムネライト』っていう商品なんです。「懐かしさ」と「ストーリー」を大切につくりました。
中元:インバウンドの人たちが来れる時期になったら、呉に宿泊してもらうきっかけづくりの1つのアイテムとして、観光客に喜んでもらえるコンテンツができればいいなって思いますね。
ラムネという商品一つでいろんな展開があるんですね。
中元:ラムネライトから始まって、どんな形にすればお客様に喜んでいただけるかということが分かったので、これから100年目に向けてさらにいろんな商品を追及していきたいですね。
社長になってから現在まで、店の歴史を大切にしながらも、自身の考えを変化させてきた中元社長。中元本店が呉という町で長く愛され続けている理由は、中元社長自身が直接、町と密接に関わっているからこそだと思います。中元社長の笑顔には人を巻き込むパワーがあると実感しました。7月18日に開催するCLiP HIROSHIMAのイベント「ひろしましろひ」では、会場で中元本店さんのラムネを味わうこともできるので、そちらもお楽しみに!