Bリーグのプロバスケットボールチーム「広島ドラゴンフライズ」でプロ選手として活躍していた仲摩匠平さん。退団後の進路に選んだのは、東京オリンピックの正式種目にもなった3人制バスケットボールのプロチーム「スリストム広島」の選手と経営者としての道。自分の直感を信じ、果敢にチャレンジし続ける仲摩さんが考える3人制バスケットボールが拓く未来、そしてスポーツと地域の新たな関係についてお話を伺いました。
3兄弟で競い合ったバスケの道
2020年10月にライブ配信された試合をリアルで観ました。CGを使って未来空間でバスケをしているような演出がされていて、とっても面白かったです。
仲摩:ああ、CUP戦(3×3.EXE PREMIER JAPAN 2020 CUP)ですね。新型コロナの影響でレギュラーシーズンの全試合が中止になってしまったので、その代替試合として行われたんです。CGを使った演出も初めてだったんですが、なかなか面白かったですよね。
3×3. EXE PREMIER(スリーエックススリー ドット エグゼ プレミア)は初めて観たのですが、どんどん点が入って、攻防の切り替わりも早くてライブ感がすごいなと思いました。
仲摩:そうですね、アーク(5人制バスケットボールのスリーポイントライン)の内側でのシュートは1点、アークの外からだと2点なんで、逆転したり逆転されたり点の動きが早いと思います。5人制のバスケットは10分間のクォーターを4回、合計40分間行うんですが、3人制は1試合10分だけなんですよ。しかも21点先取したら勝つ「KO(ノックダウン)方式」なんで、あっという間ですね。
その3人制バスケットボールの広島唯一のプロチーム「スリストム広島」を代表として率いる仲摩さんですが、仲摩さんがバスケットボールを始めたきっかけは何だったんですか?
仲摩:兄が二人いるんですけど、二人とも父が外部コーチをしていたバスケットボールクラブに入っていたので、その影響かなと思います。そのクラブは小学4年生にならないと入れなかったので、それまでは兄たちの練習について行ってはコートの外から見ていましたね。
お父様もご兄弟もバスケットボールをされていたんですね!
仲摩:もともと父も母もバスケットボールの選手で、自然の流れというか、兄弟みんなバスケをやるようになりましたね。あとちょうどその頃、『スラムダンク』と『キャプテン翼』が流行っていて、僕の周りはもうバスケかサッカーか、という感じでした。
(同席の男性陣が深く頷く)漫画の影響力ってすごいですね(笑)。仲摩さんは呉市のご出身ですが、高校は広島市内の高校に行かれましたよね。下宿をされていたんですか?
仲摩:いえ、毎朝4時50分に起きて5時20分の始発の電車に乗って通っていました。
仲摩:兄二人も広島市内の高校に通っていて、家族みんながそれくらいに起きていたので、それが普通だと思ってました。
いや、普通じゃないですよ(笑)。やはりお兄様たちから受ける影響は大きかったんでしょうか。
仲摩:そうですね。プロになりたいと思ったのも、先にプロになった2番目の兄の試合を見たのがきっかけだったですし。
仲摩:全くないっていうわけじゃなかったけど、そもそもなれると思っていなかったですね。兄の試合を見たのが大学4年の3月だったんですが、それまでは普通に就職活動をしていました。
仲摩:就職活動をしていたものの、なかなかやりたいこともなくて。そんなときに、有明コロシアムのコートで1万人の観客の前で試合する兄を見て、「兄貴ができるんなら自分もできるんじゃないか」って(笑)。ちょっと嫉妬に近かったのかなあ。プロになるということをリアルにイメージできたということもあるし。それで就職活動をやめて、プロ選手を目指すことにしました。
仲摩:実は兄も同じような進路の変え方をしてプロ選手になっていたので、両親はそりゃそうなるよな、という感じでした。でも父は最初、(プロになるのは)無理じゃないかって言ってましたね。トライアウトが受かったときも兄は「まさか受かるとは思わんかった」って言ってましたし(笑)。
それは照れもあったかもしれないし、家族として心配な気持ちもあったんじゃないですか?
仲摩:いや、本気でそう思っていたと思います(笑)。でも、やりたいことをやったらいいと応援してくれましたね。
広島ドラゴンフライズ時代の経験を糧に
大学卒業後、アメリカのIBL(独立リーグ)に参加、その後、プロバスケットボールチーム「島根スサノオマジック」を経て、2014年に「広島ドラゴンフライズ」に入団されました。広島に帰ってきたときはどんな心境でしたか?
仲摩:やっぱりうれしかったですね。でも広島ではまだバスケットボールはお金を払って観に行く競技というレベルまできていなくて。そういう反応を見て、広島でバスケットボールをもっと広めなくてはという気持ちになりましたね。
今はずいぶん盛り上がっている印象ですが、2014年当時って、まだそんな感じでしたっけ?
仲摩:そうですね、観客も少なかったですし、友達も僕がプロのバスケットボール選手だというのがピンときていない感じでしたから(笑)。ドラゴンフライズの認知度も2、3年目頃からやっと上がって、お客さんもその頃からだんだん増えてきたという感じだったんじゃないかな。
広島ドラゴンフライズ時代に印象に残っている試合はありますか?
仲摩:2016-2017シーズンの横浜ビー・コルセアーズとのB1・B2入替戦ですね。お客さんもたくさん入って会場もすごく盛り上がって、高揚感みたいなのがすごかったですね。
確かに、あのときはすごく広島のバスケットボールへの関心が盛り上がったのを覚えています!
仲摩:あとは、初めて宇都宮ブレックスと試合して田臥選手とプレイしたときですね。小学生の頃からずっと見ていた選手だったので、「あ、田臥だ」と普通に感動しました。マッチアップのシーンがあって、目の前に田臥選手がいたときはちょっと一瞬、我を忘れたというか(笑)。
森(編集部):あ、あそこにボールがあるんですけど、あれは3人制専用のボールですか?
森:ちょっと触らせてもらっていいですか? あ、ちょっと小さい?
仲摩:5人制のボールは7号なんですけど、3人制のボールの大きさは6号で、重さが7号なんですよ。
仲摩:いえ、同じです。そこにある青いバッシュが広島ドラゴンフライズにいた坂田央選手のシューズです。今、愛媛オレンジバイキングスにいるんですけどね。
森:大きいな~! でもバスケのシューズってもっとゴツゴツしたイメージだったんですけど、薄くて軽いんですね!
仲摩:そうですね、最近のシューズは軽くて柔らかくてデザインも色々あって、選ぶのも楽しいですよ。
ブログでも時々、新しいシューズの紹介とかされてますよね。ブログといえば、いつだったかの記事で、当時、広島ドラゴンフライズのヘッドコーチだった佐古さんとサウナが一緒になって、すごくいいお言葉をいただいたという話もあったのですが、佐古さんとも一緒にサウナに入れる関係なのですか?
仲摩:いえ、あれは僕が先にサウナに入っていたら偶然、佐古さんが入って来たって感じで。結構ブログ見てますね(笑)。
はい、結構見てます(笑)。で、そのときのいいお話ってどんなお話でしたっけ。
仲摩:嫌いな人とはより接するようにしろ、と。点でしか関わらないとどんどん嫌になるから、人とは面で付き合えって言われて。
その話を聞いてから、人との接し方で変わった部分はありますか?
仲摩:ありますね。例えば「なんで、この人のこと苦手なんだろう」って考えてみる。理由が分かれば、それを解決すればいいわけで、「なんか嫌だな」くらいで離れるのは違うかなと。ちょっとでも余白があるなら自分から歩み寄ってみようって思うようになりました。
今、仲摩さんはスリストム広島というチームと会社の代表として、バスケットボール界以外の方ともたくさん接する機会があると思うのですが、そういうときに何か意識されていることはありますか?
仲摩:毎年スポンサーさんを探さないといけなくて、頭を下げてお金をくださいっていう話をするので、それはやっぱりしんどいことなんですけど、お金をもらうことに対して相手にへりくだるんじゃなくて、その気持ちに応えるぞというくらいの、対等な関係でありたいという気持ちは大事にしてますね。
なるほど、ブレない軸を持っておくというのはとても大切なことですよね。
「面白そう」という気持ちがエネルギー
3人制バスケットボールチームを立ち上げるというのは、ドラゴンフライズを退団するときにはもう決めていたんですか?
仲摩:いや、決めてなかったですね。まだ選手としてやろうという気持ちもあったので他のチームとも話をしていたし、ある高校から教師にならないかという話ももらっていて。そのとき31歳だったんですけど、色々考えているうちにこれから他のチームに行ってやるより、地元である広島で何かやったほうがいいと思ったんですね。そんなときに3人制のバスケットボールの話があって。
仲摩:そうですね、で、やるなら3人制バスケットボールが一番面白いかなと。なんの土台もプランもなかったけど、面白そうだからやってみよう! っていう好奇心と勢いだけでしたけどね。
コトが進むときってそんな感じなのかもしれないですね。仲摩さんは3人制バスケットボールのどういうところが面白そうと思ったんですか?
仲摩:東京オリンピックの正式種目にも決まっていたし、プロリーグ「3×3.EXE PREMIER」もある。それなのに広島にはまだチームがなかったんで、最初につくったら面白いだろうなと思いました。
じゃあそのときって、ワクワク感と不安な気持ちでいうと、ワクワクの方が大きかった?
仲摩:もうワクワク感しかなかったですね。プロを目指そうと思ったときもそうだったけど、「面白そう」という気持ちが僕のエネルギーというか、それがないと動けないです。退団して5ヶ月後には、会社を立ち上げてましたね。
仲摩:立ち上げた後の1年間もあっという間でした。ほんと分からないことだらけで、シーズンの流れも分からないし、3人制のルールもよく分かってなかったので、初めて日本バスケットボール協会のホームページを見てルールを調べました(笑)。
仲摩:3人制は1シーズンが8日間しかないんですよ。だからスポンサーの方に費用対効果とか言われても難しかったし、やってみて初めて分かることが多かったですね。その辺はもっと考えておけばよかったと思ったけど、まあ、それもひっくるめて楽しかったですね。
仲摩さんにとって、充実した1年だったんでしょうね。
仲摩:スリストム広島を立ち上げるとなったとき、「お前がやるなら応援してやるよ」って言ってくれる方がほんとにたくさんいて。選手のときはバスケットボールだけやって、結果さえ残せばオッケーという感覚だったんですけど、今はいろんな人に関わってもらって、そういう人たちとどう進んでいくかという、一人じゃないんだなってところが楽しいというか、いいなと思いますね。
そうして迎えた2年目に新型コロナウイルス感染症拡大という事態になって、イベントもレギュラーシーズンも全て中止になりました。
仲摩:そうですね、やっとシーズンの流れも分かって、「よしこれから!」ってときで、それこそスポンサーさんも全部集めていたので、「さあ、どうしよう」という感じでしたね。
仲摩:いや、打破はできてないですね、その最中です。できないことだけ見て立ち止まっていても仕方ないので、いろいろ新しい分野のことにもチャレンジしています。例えばブログをほぼ毎日更新したり、インスタグラムでライブ配信したり、オリジナルグッズをファンの人と企画したり。新しい形での活動もたくさんできているので、気持ち的には前向きですね。
地域浸透型の交流を目指して
新しい試みといえば、呉市と広島市で「バスケ塾」も始められました。
仲摩:育成ということに自分自身も興味があったし、スクールを立ち上げてほしいという声もいただいていたので、満を持してという感じです。「バスケットボールクリニック」という学校やチーム単位での単発的な指導はやっていたんですけど、教室として子どもたちと長期で関わるのは初めてなので、楽しみでもあるし、試行錯誤しながら進めています。将来的に日本を代表するような選手が出てくれたら面白いですけどね。
3×3.EXEの公式サイトには「3×3.EXE PREMIERは、ショッピングセンターなどの大型商業施設やターミナル駅前といった地元の人たちでにぎわう場所での試合開催を積極的に推進している」と書いてありました。今後、このような地域との関わり方も増えていきそうですね。
仲摩:そうですね。実はスリストム広島自体も“地域浸透型”っていうのをコンセプトとして掲げていて、地域密着よりもう1つ下に降りて、地域の人と一緒に何かをつくっていこうと考えています。僕たちが企画したものを提供するんじゃなくて、企画段階から皆さんに関わってもらって一緒につくり上げていく。試合もそうですし、今後、それ以外の部分でもそうした動きがもっとできるといいなと思っています。
「バスケットボールを嫌いになったことはなかったですか?」という質問に「ありましたけど、ここまで続けたってことはやっぱり根本には好きなんでしょうね」と仲摩さん。スリストム広島の代表取締役社長になって3年目。活き活きと質問に応えてくださるその表情に、積み上げてきた経験値から生まれる自信と、現在の充実ぶりが伺えました。