広島県山県郡北広島町才乙にあるスキー場「ユートピアサイオト」の支配人、山元健二さん。「1年中アウトドア」をコンセプトに独自のアウトドアスタイルを展開されています。山元さんのこれまでの経験やウインタースポーツ、アウトドア事業にかける思いを、2021-2022年冬季シーズン前の「ユートピアサイオト」に伺ってお話を聞いてきました。
ホテルマンからスノーボードプロライダーへ
山元さんはどんなことがきっかけでウインタースポーツ業界に入ったんですか?
山元:会社の先輩にスノーボードに誘われたのが始まりです。大学を卒業してからホテルマンとして社会人1年目をスタートしました。ホテルマンって夜も働くことが多いので、日中時間があることが多いんですよ。夜勤明けだと翌翌日から仕事みたいな環境だったので遊びに行きやすい状況でした。
山元:高校生の時から趣味でサーフィンをしていたんですけど、スノーボードには全く興味がなかったですね。でも初めて行ったときにすごくスムーズに滑ることができたんです。
最初からちゃんと滑れるなんて、サーフィンで培ったバランス感覚のおかげですかね!?
山元:どうでしょうか。すぐにスノーボードの道具をフルセット購入して2回目に行ったんですけど、けっこう上手くなってしまったんですよね(笑)。そこからハマりました。私は一つの事にのめり込んでしまう性格なので、1シーズンで30回くらい行きました。仕事の夜勤明けで行けるという労働環境だったのもよかったと思っています。しかも20年以上前は現在と違ってよく雪が降っていて、4月中旬くらいまで滑れましたからね。
最近の20年で気候の大きな変化を感じてしまいます。
山元:私はスノーボードのシーズンが終わったらサーフィンのシーズンだと思っていたんですけど、会社の先輩に、当時神戸にあった屋内スキー場に滑りに行こうよって誘われたんです。わざわざ神戸の屋内スキー場に行くなんて興味無いと思いながらも何回か通っていると、某有名スノーボードメーカーのプロライダーをしている方に「うちでライダーとして働かないか」と声を掛けられました。
山元さんの滑りを見ての話ですよね?きっと一般の方とは一線を画す華麗な滑りをしていたんでしょうね。
山元:でもその時は「ホテルマンとして仕事をしているので難しい」と答えました。しばらくして勤務先のホテルに屋内スキー場の役員の方がやってきて、「広島に新しい屋内スキー場を作るから力になって欲しい」と誘われたんです。神戸で声を掛けてくれたプロライダーの方から私の話を聞いたみたいで。
山元:そうです。悩んで両親に相談したら父親が「若いんだから好きなことやってみろ」って言ってくれたんです。私も自身の得意分野でそう言ってもらえたんだからやってみようと決心し、ホテルを退職して屋内スキー場の運営会社に再就職しました。
新たな一歩を踏み出すなんて社会人になって1年目で大きな変化ですね。
山元:そこから2年間くらい屋内スキー場でゲレンデ管理やレッスンコーチなどをして働きながら、冬になるとスノーボードの大会に出場して成績を残すといった生活をしました。するとある日、別の有名スノーボードメーカーからプロライダー契約のオファーをもらったんです。
すごいっ!!今度はプロライダーに転職したんですか?
山元:プロ契約はしたんですけど、転職はしませんでした。プロとして日本国内で活動をして、日本でのシーズンが終わるとそのメーカーの世界中のライダー達はカナダで合流をします。4カ月間日本を離れる必要があるのですが、屋内スキー場運営会社の社長が「是非行ってこい。世界を見てこい。そのかわりに海外で得てきたものを今の仕事にフィードバックしろ。」って言ってくれました。
山元:今の自分があるのは、その方が快く送り出してくれたおかげなんです。カナダから8月頃に帰国してからは、海外で使用されているジブアイテム(ジャンプ台やレールなど)を撮って帰った写真を見て試行錯誤をしながら自宅で作りました。そういうアイテムは当時広島のスキー場にはなかったんですよ。
海外の最新アイテムを広島でも楽しめるようにしたんですね。
山元:そんな生活を10年くらいしました。あるときプロライダーの撮影の仕事でアメリカのヘブンリーという所に行って滑っていた時に、偶然サイオトの知り合いが社員研修で同じゲレンデに来ていて「何やってんの」って声を掛けられました。
山元:そのことがきっかけで帰国後に話を聞くと、当時サイオトにスノーパーク(ジャンプ台やレールなどがある場所)を作る計画があって、プロデュースをして欲しいという話をもらいました。
つまり、屋内スキー場で働きながら、プロライダーとして活動をして、サイオトでの事業プロデュースまで行っていたんですね。
山元:その後、屋内スキー場運営会社の社長から「お前はここにいる人間ではない、広島県のスキー場のために何かできることをしなさい」と言ってもらったのがきっかけで、他のスキー場でマーケティングをしたり営業をしたりイベント企画運営、ゲレンデ管理などもしました。そして今では完全にサイオトの人間です。
社会人のスタート時に1年間ホテルマンをされていた経歴をもちながらも、ほとんどはウインタースポーツと共に生きているんですね。
山元:ホテルマンだったからこそ、電話対応・お客様対応など社会人として基礎的なことを学ぶことができたのは財産ですよ。何も知らないで社会に出るよりもホテルでの応対を学ばせてもらってから社会に出ることができたことを今でも感謝しています。ホテルマンの心得なんて自然に学べることではないですしね。
そこの部分が今の山元さんの基礎を作っているんですね。
今までにない体験の提供を目指して
最近の雪の降り方って不安定ですよね。降雪が少ない年が続いたり、一度に多く降り過ぎたり。
山元:もう何年もそうですよね。2020年―2021年シーズンはまとまった雪が降ったので良かったんですけど、その2、3年前は1月の中旬まで全く雪が降らなくてお客様も行く場所を失ったり、我々も営業するチャンスがなかったり…。そのせいで近隣のスキー場は何軒かなくなりました。
山元:そういった環境でも活路を見いださないといけないと思い、本格的にジップラインやバギーアドベンチャー、グランピングなどの夏事業に取り組み始めました。
毎年サイオトのホームページでジップラインを見るたびに体験したいと思っているんですよ。
山元:ジップラインはスタートして8年目なんです。でもそれだけでは集客は厳しくて、バギーアドベンチャーやグランピングを始めたところ大好評で!!
野外でのリクリエーションは、コロナも追い風になって人気がでた感じですかね。スキー場は冬だけ行く場所だったのが、今は年間を通じてのレジャー施設に変化しているんですね。
山元:広島県の中で芸北エリアって冬のイメージなんですよね。
山元:夏になると備北エリアや瀬戸内エリアにお客様は遊びに行くんです。なのでその周辺にはいろいろな施設ができて、観光スポットが多くできています。でも中山間地域・西中国山地という観光資源の魅力を広島県観光連盟に訴えて、その思いが伝わり、一緒にいろいろな活動をするきっかけになったのがバギーアドベンチャーでした。
山元:バギーアドベンチャーを始めるにあたって、いろいろな施設を視察しました。日本の一般的なバギーアドベンチャーはどこも安全面を考慮して細い道をガイドについて行くだけで、10~15分で終わってしまうんですよ。
それだけでも十分楽しめそうに思ってしまいますが…。
山元:私が海外生活をしていた時に感じたのは、海外ではアクティビティに対して自由度がすごく高いということです。だから決められた場所をガイドについて行くだけのものではワクワクしませんでした。海外でプロライダーとして生活していた場所は、各家々にバギーが一台あるような田舎だったというのもありますね。
海外での経験がここでも生かされる結果になったんですね。
山元:今までにない体験をと思い考えたのが「天空バギー」です。標高740mから1020mくらいまでを、スキー場のゲレンデだったら制限されるものがないので自由に走ってもらう。もちろんガイドはつきますが、家族や友達同士が前後ではなくて左右に広がっておしゃべりしながら斜面を登っていくような形を作りたかったんです。
今までの日本のバギーとは全く異なるバギー事業になったんですね。しかもキャンプやグランピングとの組み合わせで、一度に両方楽しめるというのはサイオトを選ぶ理由になりますね。
スキー場は地域とのつながりの場
山元さんもバギーのガイドなど、直接の運営に参加されているんですか?
山元:もちろん参加します!直接お客様と向き合うことによって、声や一瞬一瞬の表情などをじかに感じることができます。特にお子さんは「楽しい、楽しくない」と声に出すのではなくて、すごく良い顔をされるんですよ。バギーで走り始める時とか、ジップラインで飛び降りる瞬間とか。それだけでお客様の気持ちをダイレクトに感じることができるのは私の喜びですし、そういう環境を作り続けるために一番お客様に近い場所に居たいと思っています。
屋外のアクティビティならではの、お客様の反応ですね。
山元:従業員の仕事内容を一緒になって自分も感じないと、辛さとかしんどさとかが分からなくなってしまうと思うんです。一緒になって業務をすることによって頑張っている従業員の顔を見ることもできるし、改善点にも気が付くことができますよ。従業員一人一人の支えがあって前に進むことができています。
規模の大きいアクティビティだからこそ、多くの従業員の方々の支えが必要なんですね。
サイオトまでの道中って本当に田舎道ですよね。過疎化が進んでいるのかなと感じてしまいました。
山元:確かに高齢化が進んでいます。周りに何もないし産業と言えるものは農業くらいでしょうか。最初にこのサイオトがスタートしたときには、周辺住民・地権者など地元のみんなで一緒になって盛り上げていこうよって出来た施設なんです。当時の方々は歳をとられていますが、その子どもたちはサイオトで滑ったり、高校生時代にアルバイトをしたり、地域と一緒にやってきた歴史があるので冬になるとほとんどが地元の従業員で業務を行います。
山元:せっかく年間を通して事業をするのであれば食材も地元のものをと思い、数年前から特に主食であるお米は全部「芸北米」を使っています。グランピングやバーベキューでも地元の野菜や芸北豚なども使っているんですよ。
地産地消の構図もできているんですね。遊びに来て食べたものも美味しくて、スキー場だけではない魅力の発信ができていいですね。周辺に目立った産業がないからこそサイオトが地域の魅力発信の場所になっているんでしょうね。
山元:普段お米や野菜を作っている方々は、冬季はサイオトで働いていただいていますし、地域のみんなで助け合っています。
常に進化するアウトドアリゾート
山元:二つあります。一つ目は、既に行っているバギーアドベンチャーの延長なのですが、以前試験的に「バギーで星空を見に行く」というのを企画・実施してみたんです。そうしたら参加された方々は下山してくれないんですよ。星空がきれい過ぎて(笑)。
夜のスキー場なら人工的な明かりは全くないし標高が高いから、きれいな星空が想像できます。
山元:星空を眺めていたら3分に1回くらいのペースで流れ星が見えます。流れ星って見たことない方が結構いらっしゃるんですよ。サイオトの従業員はそれが日常の光景ですけどね(笑)。でもだからこそ、より自然の魅力を感じてもらえるような商品を今後も作り続けたいと思っています。
山元:二つ目はサイオトに来ていただくハードルを下げたいと思っています。
山元:サイオトは、広島市内から約80kmの距離があるので、お越しいただくには約2時間必要です。福山市内からだったら3時間とか。
山元:サイオトは宿泊施設としても登録をしているのですが、コロナ禍で団体での宿泊利用をしていただくことがほとんどなくなってしまったんです。9割以上のお客様が日帰りのご利用になりました。日帰り利用だけだと運転手の方の負担が大きく、お母さんが子どもたちをつれてくるようなシチュエーションだと移動のハードルが高いんです。ですので今後は気軽に安心して泊まれるような宿泊プランとか、キャンプ泊などをもっと提案していきたいですね。
確かに気軽に泊まることができれば、少々の長距離運転も苦にはなりませんね。
山元:でもキャンプは道具をもっていないとできないので全部サイオト側で用意をして、終日アクティビティを楽しんで、気軽にキャンプまでできるような状態を作ることをイメージしています。
より利用しやすい環境づくりを目指しているんですね。
山元:「1年中アウトドア」をコンセプトにしているサイオトならではの、気軽に楽しめるアウトドアスタイルを展開することによって、オリンピック競技にもなっているウインタースポーツの文化を絶やすことのないようにするのが使命です。
山元さんの経歴に驚きながらも、その経験から生み出されるさまざまな取り組みを聞いているうちに、スキー場は冬だけの場所というイメージは完全になくなりました。しかしながらその活動成果の裏には、スキー場が気候に左右される苦労があるからこそ成しえたものだと感じました。私もいちスノーボーダーとして広島県のウインタースポーツが盛り上がることを期待しています。