福島から広島へ移住してもうすぐ10年になる佐藤亮太さん。現在は『NPO法人湯来観光地域づくり公社』の理事長を務めています。佐藤さんはこの町に暮らし、いろんな人とのつながりを経て、「おもしろい人生になっている」と言います。他の人にとっても「湯来町が人生の転機となる場所に」という思いで、さまざまな魅力を発信する佐藤さんに湯来町の魅力や今後の思いについて聞いてきました。
広島でのつながりを生かした新たな活動
佐藤さんが移住しようと思ったのは、どんなことがきっかけだったのでしょうか。
佐藤:もともと福島でスポーツを通じたまちづくり関係の仕事をしていました。東日本大震災にあってライフラインが全て止まったときに、配給に頼るしかない状況を目の当たりにしたんです。たまたま妻の実家が米農家だったんで、食料はあったけど、自分で食べ物をつくらない限り安定はないんだなって痛感して。そういう経験があって、自分で食べ物やエネルギーをつくる生活がしたいと考えるようになりました。
そうだったんですね。その中でもなぜ湯来を選ばれたのですか。
佐藤:様々な状況から福島を離れることは決めていたけど、どこへ引っ越すか迷っていたんです。そんなときに、広島にいた僕と妻の共通の友人が、妻に「広島で飲食店を一緒にやらないか」と誘ってくれたことがきっかけで、広島に移り住むことを決めました。その友人が、迷っていた僕らを後押しするために、声を掛けてくれたんです。それから2年半、中区に住んだあと、そろそろ自分で食べ物をつくる環境に身を置きたいなと考え、湯来町に移住をすることにしたんです。
佐藤:でもやっぱり自分で気付いたことを、ないがしろにすることができなくて。それに、福島を離れることを決めたときに比べたら、そんなに大きな決断ではなかったとも言えるかもしれません。湯来町のことは、ネットで調べたときに温泉があることを知って、広島に来てからも、何度か訪れたことがあったんです。僕、温泉がないと生きていけないくらい温泉が大好きなんですよ。
じゃあ佐藤さんにとって湯来への移住は温泉が大きなきっかけと言っても過言ではないですね。
佐藤:温泉は大きいですね。あとは作物がつくれる環境もいいし、広島市内からも1時間かからずに行けるから距離感的にもちょうどいいと思っていて。それに、広島市内でいろんなつながりができていたからっていうのもあります。
佐藤:僕、広島に来て一番最初の仕事がお寺だったんですよ(笑)。
佐藤:西区にある天台宗のお寺なんですけど、そこのお寺では大人向けの寺子屋のようなことを定期的に開催していたんです。もともと広島にいた知り合いに「今度お坊さんと語る会があるから、それ来ない?」って言われて。行ってみたら「寺子屋を運営する人を探してるからどう?」って誘われたんです。一生のうちにお寺で働くこともないから面白いと思って、半年くらい運営に関わらせてもらいました。
広島に来て一番最初の仕事がお寺なんて驚きました。そのお寺でつながりができたんですか?
佐藤:毎日寺子屋をしていたので、そこでいろんな人とのつながりができました。でもお寺だと40代以上の方が多かったので、若い人ともつながりが欲しかったんです。だから独自でイベントを開催したり、人材育成の仕事に関わらせてもらったりして。これまで出会った人たちとのつながりを生かして何かしたいとその頃から考えてたんです。
なるほど。そのつながりがあったから今があるんですね。
インバウンドから教えてもらった中山間地域のミッション
佐藤:たまたま引っ越した家の近くに『田舎cafeおそらゆき』っていうおしゃれなカフェがあって、なぜ湯来の中でもこんな奥地にカフェをつくったのか知りたくて、カフェのオーナーをSNSで探して、広島市内の本社に話を聞きに行ったんです。話をする中でそのオーナーと意気投合して。その頃は週に1~2回くらいしかお店を開けていなかったんですけど、集落のことを伝えていくにはもっと営業したいって思っていたみたいで。僕たちが仕事を決めずに移住してきたので、じゃあお店やってよって言われたんです(笑)。
佐藤さん、お寺もそうですけどこのときもお店を任される話になるってすごいですね。
佐藤:ほんとにありがたいことです。あと、「ホンモロコ」っていう魚の養殖も引き継いでほしいっていうことだったんで、カフェの運営と魚の養殖とお米もつくるっていうところからスタートしました。食べ物はつくりたいと思っていたので、お米をつくることはイメージしていましたが、まさか魚の養殖をするとは思っていませんでしたね(笑)。
ここまでお話を聞いていると、広島での経験が濃すぎますね。カフェでの営業はどうでしたか。
佐藤:カフェは思いのほか忙しくて、多いときは年間6,000人くらい来ていただけるようになったんです。ただ人を何人も雇用するのは経営的に難しかったから、田舎の農業体験などを提供するWWOOF(ウーフ)ていうのを始めて。お金のやりとりはなくって、僕(ホスト)が食事と住む場所を提供して、国内外から来た人たち(ウーファー)が農業やカフェの手伝いをしてくれて。2年で20か国くらいから約70人来てくれたんですよ。
佐藤:僕もそんなに来てくれるとは思っていなかったので驚きです。そこで一緒に活動しているうちに、彼らから見た湯来町の魅力を知るようになって、海外の人が湯来に来る流れをつくったらおもしろいかもって思ったんです。
海外の人から見た湯来の印象は、また日本人とは視点が違って新たな発見が生まれそうですね。
佐藤:そうですね。ただWWOOF以外では湯来に来る外国人は皆無だったので、市内から湯来に来る仕組みをつくらないとなと思っていたんです。ゲストハウスをしたいという友人がちょうどいたので、横川で一緒に立ち上げから1年間運営をしました。そこでは外国人に広島の中山間地域へ行ってもらおうというのがコンセプトだったんですが、そうした中山間地域にはいつでも体験できる質の高いコンテンツが思いのほか少ないってことに気付いて。それで改めて湯来に人が来る流れをつくろうと本格的に動き出したんです。
たしかに湯来でできる体験が今はかなり増えていますよね。
佐藤:2018年に「NPO法人湯来観光地域づくり公社」の理事長を引き継いで、2019年からその運営をしながらインバウンド事業にも力を入れ始めました。2020年からいよいよってときにコロナになってしまいましたが、逆に今準備しておけば今後プラスしかないって考えてます。
シャワークライミングにテントサウナ。湯来町ならではのアクティビティ。
このようなアクティビティは、湯来という町を盛り上げるために始められたんですか。
佐藤:僕より前にもともとやっている方々がいたんですよ。僕も教えてもらいながらガイドをやっていく中で、僕はシャワークライミングが楽しいし、やっぱり自分がいいって思うものじゃないと絶対お客さんに伝わらないと思っていて。
たしかに自分自身が楽しくないと、相手には良さが絶対伝わらないですよね。
佐藤:そう。あと人の関係性をつくりやすいんですよ。ただのアクティビティではなく、自然相手の体験の中で参加者同士で協力したりといった、人と人との関わり合いや人材育成にもつなげられる場だと捉えています。今後は企業研修でもできたらいいなって考えてるんですよ。
企業研修!たしかに一気に団結力が高まりそう。アクティビティと言えば、今日もイベントをされていますよね。
佐藤:はい。今日は川のそばでテントサウナのイベントをしています。ぜひ体験していってください。
これまでこのようなイベントやまちづくりの活動を通して、佐藤さんが関わり出した当初と何か変化はありますか。
佐藤:どうですかね。去年の夏の動きとかを見るとお客さんは増えてきていると思います。けど、湯来町は40代以上には認知されていて、20代となるとほんと認知度がないんですよ。そこをなんとかしたいなっていうところからシャワークライミングとかテントサウナに力を入れ始めて。少しずつ若い人の認知も上がってきているのかなと思いますね。
佐藤:若い人たちに来てもらえないと、経営的にも将来絶対厳しくなりますし、湯来の活動に関わりたいなと思ってもらえるようにならないと、活動も継続できませんし。若い人が住めるような雇用環境を僕たちとしてもつくりつつ、湯来で事業したいなって考える人が増えてきたらいいなと思ってますね。
「人生の転機となる場所」を目指して
湯来町で実際に生活するなかで、佐藤さん自身が感じた湯来町の魅力は何でしょうか。
佐藤:やっぱり温泉は欠かせないですね。温泉街もだいぶさびれてきたけど、復活させたいって考えてるんですよ。あとは、ちゃんと四季を感じられるところですね。春は稲が植わって緑がきれいだし、夏は暑いから冷たい川が気持ちいいし、秋は緑から一気に黄金色になって景色がガラッと変わるし、冬は雪が降るから遊べるし。四季を感じられて、自然の香りとか五感で楽しめるところが僕にとって魅力ですね。
たしかに市内では感じられない魅力ですね。住み心地はいかがですか。
佐藤:住み心地もいいですよ。僕の子どもはよく近所のおばあちゃんちに行って遊んでもらってます。気付いたら家にいないんですよ(笑)。
町全体で子どもたちを育てている感じがしていいですね。逆に、これまでの活動を通して大変だったことはありますか。
佐藤:大変なことかあ…。正直湯来町から出たいと思ったこともありましたよ(笑)。ここで事業するのは難しいっていう意見もあったりして、このまま住んでたら僕どうなるんだろうって考えたときはありました。
いつも前向きのイメージなので、そういう風に思っていたことがあったなんて驚きです。
佐藤:でも僕が住んでいる上多田集楽に雲出というエリアがあって、雲出出身の人たちが、このままでは雲出が無くなってしまうと「くもでを愛し守る会」っていう会をつくって活動を始めたんですよ。公園や民泊施設をつくったりしていて、とにかく活動が大胆で、みなさんとても素敵で、これはおもしろくなってきたと思って町から出ることを考え直したりとか。そうしていろんな人と関わる機会がより増えて、これだったら大丈夫かもって思えたんですよね。
そんなことがあったんですね。やはり人とどれだけ出会えるかって重要ですね。
佐藤:そうですね。湯来を世界中の人が目指す場所にしたいと考えています。今までアクティビティに参加してみて「人生観が変わった」って言ってくれる人もいたり、カフェをしていたときに「人生で忘れていたものに気付けた気がする」って言ってくれた人もいて。僕らと関係性をつくれる人が増えていってほしいんです。湯来を訪れた人にとってこの町が、人生の重要な転機になる場所になればいいなって思います。
人生の転機となる場所かぁ。そんな場所に出合えたら最高ですね。
佐藤:僕らがガイドとして地元の人と観光客をしっかりつなげることができれば、価値観の交流が起こってその人が持ってないものを引き出せたり、湯来に住んでいる人も観光客と話すことが生きがいになると思うんです。湯来に住んでいる人にとっても、湯来へ遊びに来たり移住しようとしている人にとっても、どちらも価値があって幸せを感じられる町になったらいいなと思います。
そうなると、もっと湯来に来る人たちが増えてもっと住みやすい環境になりそう!話を聞いてるだけでワクワクします。これからの佐藤さんの活躍と湯来に期待しかないですね。
「湯来町に移住し、多くの人と出会い、その一つ一つの出会いを大切にしてきたからこそ今がある」と佐藤さん。これまでのたくさんの人との交流を生かし、今度は佐藤さんが伝える役割を担って、町を盛り上げています。湯来町の魅力を日本から世界に。ぜひみなさんも湯来町に足を運んでみてはいかがでしょうか。