「登記しとったけえ」という先代の父からのひと言で、ある日突然、『株式会社エル・コ』の代表取締役になった沖野有紗さん。幾多の困難にあっても「諦めるのが大嫌い」と、持ち前の明るさとチャレンジ精神で乗り越え、次々と企画を成功させる姿はまさにパワフル版シンデレラストーリー。そんな新時代のリーダー、沖野さんに夢を叶えるコツを教えてもらいました。
時給800円のパート営業からスタート
株式会社エル・コは、先代であるお父様が印刷会社として起業された会社だそうですね。
55周年おめでとうございます! 沖野さんは2014年に代表に就任されたそうですが、いつからこちらの会社に?
沖野:大学卒業後、大手の印刷機器メーカーに就職して、その後は英語講師などをしていた時期もあったんですが、父の会社でパートとして働くことになりました。時給800円でした。
なんとパートからですか! 下積みをしっかり経験されたわけですね。
沖野:広告営業のノウハウも分からないまま、自社で発行しているフリーペーパー「西広島タイムス』の広告や求人営業として駆け回っていました。でも営業の仕事は好きだったので、苦にはなりませんでしたね。
その後、先代のお父様から「任すぞ」と会社を託されたときはどんなお気持ちだったんですか?
沖野:それが実は、自分が代表になったというのは「広島経済レポート」を見て知ったんです。父からはその後、「登記しとったけえ」というひと言があっただけで、引き継ぎもなかったんです。
沖野:それに社長になっても社長の仕事をなかなかさせてもらえなかったというか。父と意見が合わず、やりたいことをやらせてもらえなくて、何度も悔しい思いをして。結構苦労したんですよ。
沖野:すごく厳しい人です。私は大学の英文科を卒業して大手企業に就職したのですが、そこで英語が全然喋れない自分が許せなくて、父に留学したいと相談したら「売り飛ばされる、殺される、絶対行ったらいけない」ってすごく反対されて。
それは厳しいというより、愛情ゆえという気もしますが(笑)。
沖野:それで「やらずに後悔したくない。行かせてください!」と手紙を書いて家出したんです。6時間ほど。
(一同爆笑)6時間ですか! お父様はどんな反応を?
沖野:「勝手にしろ!」と。なので、勝手にしました(笑)。
沖野:カリフォルニア大学バークレー校エクステンションに留学しました。そしたら文法はできるもんだから中途半端にいいクラスに入って。同じクラスに天安門事件のリーダーだったウーアルカイシさんもいたんですよ。
沖野:みんなで政治問題をディスカッションするんですけど、さっぱり分からなくて。だいたい、日本語でも答えられないような難しい話ばかりなんですよ。聞かれても分からないから、私ともう一人の日本人が、隣の人を指差して同じ意見だという意味で「セイム(same)」って言うと、先生が「君たちは日本人としてのプライドはないのか!」とすごく怒って。
沖野:逃げたんです(笑)。次の日、授業を休んだら先生に呼ばれて「逃げていたらいつまでたっても逃げることになるぞ」と怒られて。それで目が覚めて、スピーチのクラスを受講して猛勉強しましたね。日本人は一人でしたけど、すごい量のスピーチを丸暗記して大会にも出場しました。
「やる時はやる」、まさに沖野さんの人となりを体現するエピソードですね。そういえば、西広島タイムスの中に「プチTimes英会話」というコーナーがありますが…。
沖野:そう! 私が企画して始めたコーナーです。YouTubeもつくって配信していますよ。
沖野:つい先日も、「英会話コーナーを毎週切り抜いてスクラップしていますよ」と声をかけてもらいました。そういう声がいただけるのはやっぱり嬉しいですね。
地域密着で生まれる一体感
沖野:グルメやプレゼントのコーナーはいつも人気がありますね。頑張っている地元の人や少年スポーツの紹介記事だったり、広島ドラゴンフライズやカープの2軍の情報も人気ですね。
やはり、地域密着の記事が人気なんですね。西広島タイムスが限定した地域にこだわるのはなぜですか?
沖野:これは先代である父から「わしが死んでも(対象)地域を広げるな」と言われたからなんです。ほかの新聞と発行エリアを重ねて競合するより、地域を絞って密着したメディアをつくる方が生き残れると考えていたみたいです。
実際、地域の人に必要とされるメディアに育っていますよね。
沖野:そうなんです。今回、緊急事態宣言が発令される事態になって、休刊したり、回数を減らしたりしたときに、地域の方から「楽しみにしとるよ」「いつ再開するん?」と温かい声をたくさんいただいて、改めて地域との一体感を感じました。「地域を限定して生き残る」というやり方は間違っていなかったと思いましたね。
紙という媒体の力、また情報紙にどんな可能性を感じていますか?
沖野:IT化は大事なので、弊社も公式LINEやYouTubeをやっています。でもその中でアナログを残すことにこだわっているのは、特にご高齢の方が紙面をとても楽しみにしてくださっているからなんです。「うちは配布されない地域だから取りに行きたいんだけど、会社はあいていますか?」という電話もいただくんです。「電子版がありますよ」と言っても「分かってる。でも私は紙がいいんよ」とおっしゃる。これはもう、伝統文化として残していかないといけないと思うわけです。
西広島タイムスの人気と認知度の高さを物語るエピソードですね。
沖野:はい、とってもありがたいことなんですが、おかげで弊社を新聞社だと思っていらっしゃる方も多くて。株式会社エル・コという印刷会社なんですけどね(笑)。
確かに! 一般の方は西広島タイムスのインパクトが大きいですからね。もしよかったら、印刷工場を見学させていただけますか?
エル・コの印刷工場を見学
沖野:2階の事務室から階段でつながる1階に、エル・コの心臓部ともいうべき印刷部があります。
印刷機械ってこんな感じだったんですね。カッコいい!
(見学を終えて)どうもありがとうございました! 印刷機械の存在感に感動しました。そして何より職人さんたちの働く姿が凛々しくて素敵でした!
沖野:ありがとうございます。印刷会社ということをお伝えできて良かったです(笑)。
ところで今見せていただいた印刷事業部、西広島タイムス事業部以外に、株式会社エル・コには企画・販売促進部というのもあるそうですね。
沖野:はい、地域に根ざしたイベントを企画しています。特に婚活イベントが人気で、バーベキュー婚活、スポーツ婚活、お好み焼き婚活とか色々やりました。80名が集まったバーベキュー婚活では1組のカップルが成婚されてメールもいただいて、取材させていただいたんですよ。
いろんな種類の婚活をされたんですね~! どれも盛り上がりそう! 他にはどんなイベントを?
沖野:直近では「ワクワクウォーキング&クイズラリーin宮島」を開催中です。宮島内のスポットを、歴史や観光情報のクイズを解きながらめぐってもらうという企画ですが、このクイズが面白いですよ~!
沖野:例えば「平成8年、嚴島神社は〇〇によって世界文化遺産に認められた。〇〇とは?」というクイズで、用意している答えが「Aタバスコ Bレモスコ Cユネスコ」みたいなね。
沖野:もちろん真面目なクイズもあるんですよ。それを解きながら、5キロもしくは10キロコースをウォーキングしてもらうという企画です。実はまだ新人の時に、「宮島を盛り上げたい」と企画をつくって、自転車を借りて一人で宮島で飛び込み営業をしたことがあるんです。相手にしてもらえないことも多かった中で、「がんばっとるんじゃね、じゃあ協力するわ」と言ってくれる人もいて。そのときにつないだご縁を今回使わせていただきながらつくった企画なんです。
成功の秘訣は「人に伝えること」
いろんな経験が今につながっているんですね。お話を聞いていると、いつも体当たりで突き進んで行くバイタリティを沖野さんには感じます。もしかして干支が亥年とか…⁉
沖野:亥年ではないです(笑)。でも諦めずに突進するタイプですね。やってだめだったら軌道修正すればいい。私はやらずに諦めることが大嫌いなんです! 失敗しても諦めずに続けていたら、結局最後はきちんと成功につながります。あとはやりたいことがあったら、人に伝えること。言ってしまったらやらないといけないと思うし、周りの人もアイデアを出してくれたり協力してくれますよ。
なるほど! 夢があったらどんどん人に伝えるべしですね! 最近、新たにチャレンジしていることはありますか?
沖野:創業50周年の記念にオリジナルキャラクター「えるこちゃん®️」をつくりましたが、歌もつくったんですよ。作詞が私、作曲は廿日市市出身のシンガーソングライターDressingさん。その歌に合わせて、フィットネスクラブE-beauの手嶋社長と一緒に「えるこちゃん®️ダンス」も制作しました。このダンスをラジオ体操と同じくらい、地域に普及させたいなと模索しています。
ラジオ体操が目標とは壮大なプロジェクトですね! でも沖野社長ならできそうな気がします。まだまだ新しいアイデアも出てきそうですね!
沖野:近いうちに、英語を勉強したい日本人に向けたALL ENGLISHイベントを開催したいと考えています。また緊急事態宣言発令中に思いついたんですが、これからは農業の時代だと。実はこれまでも知人などから「畑があるけど、もう体力がなくて何も作れないのよ」という声をたくさん聞いていました。そういう畑を集めて、「えるこちゃん®️ファーム」を作りたいんです。野菜を育てるのが目的ですが、地域の人が気軽に集まることができるコミュニティにもなればいいなって。「えるこちゃんトマト」とかを栽培して、収益をみんなで分けたら雇用が生まれるし、みんなが助かるでしょ。
アイデアが次から次へと湧き出てくる感じですね! たくさんの夢をお持ちですけど、その中で一番叶えたい夢は何ですか?
沖野:綺麗ごとではなくて本当に叶えたい夢として、ついてきてくれる従業員さんみんなを幸せにしたいんです。今すごく我慢してもらっているので、コロナ禍をみんなで乗り越えて、「ここで働けてよかった」と思ってもらえるように、ボーナスをバーンと出して、みんなで旅行に行ったり幸せを共有したいです。
今でこそリーダーシップを発揮し、会社を率いる沖野さんですが、社長になったばかりの頃は色々なジレンマも抱えていたといいます。特に社長を退いても会長として会社を指示する先代の父親に、はがゆい思いをしたこともあったそう。約2年ほど前に本当の意味で「任せる」と言われ、今は創業者としての思いも理解し素直に感謝しているといいます。御年87歳になったお父様は、今も西広島タイムスのコラム連載を担当。「脳トレにいいと思って(笑)。根強いファンもついているんですよ」。そう語る沖野さんの笑顔は、一人の優しい娘の笑顔になっていました。