広島出身のシンガーソングライター・HIPPYさんが、被爆証言を伝える「原爆語り部の会」を毎月開いています。1945年8月、広島と長崎で起きた出来事を「絶対に風化させない」と、HIPPYさんが当時を知る被爆者に話を聞き、その様子をYouTubeで生配信。「75年は草木も生えない」と言われた町を復興させ、生き抜いてきた強さを学びます。
被爆体験を自分ごととしてとらえて
HIPPYさんが主催する「原爆語り部の会」について教えてください。
HIPPY:僕がインタビューする形で被爆体験者から当時のことを聞かせていただく会で、毎月6日に開催しています。元々、飲食店で開いていたのですが、コロナ禍になった2020年3月からYouTubeで生配信しています。
HIPPY:先輩の冨恵洋次郎さんが、2006年に自身の経営するバーで開いたことが始まりです。ずっと冨恵さんが続けてきたのですが、2017年に病気で亡くなってしまって。亡くなる4日前、冨恵さんが語り部の会の運営を僕に託してくれました。
冨恵さんのことはショックでしたね。引き受けようと思ったのはなぜですか?
HIPPY:僕は2012年ごろに初めて語り部の会に参加しました。それまで被爆体験の話は怖いと感じてしまって、あまり積極的に聞くことができなかったんです。
HIPPY:自分の中で「原爆は漫画や映画の中の話」にしていました。だけど、初めて参加して証言者の話を聞いたとき、「怖い」という思いより、亡くなった14万人一人ひとりにも僕と同じように人生があったんだと感じました。
今の私たちのように、みんな当たり前の日常を過ごしていたはずです。
HIPPY:被爆体験を自分ごととして捉えるようになったとき、絶対に戦争、原爆があってはだめだと強い思いが芽生えました。僕のように、証言者の話をきっかけに意識が変わる人を増やすためにも語り部の会を続けなければいけないと思い、先輩から引き受けました。
苦しみ、77年たった今でも
HIPPY:ある証言者が「今でも夕焼けがトラウマ」と話したんです。町が燃えて赤く染まったあの日の空と同じだからという理由で。
天気の良い日は夕焼け空が広がりますが、それがトラウマなんですね。
HIPPY:夕焼けって僕らにはきれいな景色だけど、被爆者はそれを見て「自分だけ逃げた」という自責の念に今も苦しんでいる。町は復興しても心は全然復興していないと痛感した言葉でした。
HIPPY:証言者にとって原爆は思い出したくないはず。僕だったら話したくないし話せない。それでも世界の平和のためを思って辛い過去を話してくれます。しっかり受け止めなければいけないと感じます。
原爆を感じさせない今の景色が生き抜く強さの現れ
HIPPY:自分だったら投下後を生き抜いてこれたか分からない。被爆者はそんな状況から、原爆があったことを感じさせない今の景色を作った。この町の風景が、生き抜いた強さを象徴していると思います。
HIPPY:2022年のウクライナの状況は、77年前にこの町でも起きていました。改めて、戦争は他人事じゃないし歴史じゃない。僕らは、被爆者が平和なこの景色を作ってくれたと知ることが大切です。証言の会を通して、二度と戦争を起こしてはいけないという思いにつなげたいですね。
「被爆体験を聞くのは怖い」という言葉を耳にします。被爆者の声を聞いてきたHIPPYさんは、当たり前のように生活する町の姿が「被爆者の強さを表している」と話します。原爆語り部の会の証言で戦争の悲惨さと生き抜く強さを知り、次世代へつなげていくことが私たちに求められているのではないでしょうか。