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香川裕光さん|「だから、夢を追い続けて」。未来が見えない今だから、伝えたいこと

「歌手になる」。廿日市市出身のシンガーソングライター・香川裕光さんがそう心に決めたのは、小学生のときでした。途中回り道をしながらも、夢を追いかけることを諦めなかった香川さん。少し先の未来さえ想像しづらくなった今、歌手になるという夢を叶えてもなお、次の夢に向かって歩み続ける理由、そして歌で届けたい想いを聞きました。

取材は香川さんの活動拠点の1つ、『cafe bar NICO』にて。

きっかけは夏祭りのカラオケ歌合戦

まず子どもの頃の話をお聞きしたいのですが、どんな子どもだったのですか?
香川:僕が小学生の頃はちょうどJリーグが流行っていて、サッカー選手に憧れたり、漫画の『ワンピース』に夢中になって海賊になりたいって言っている、普通の小学生でした。でもやっぱりその頃から歌うことが大好きで、「歌手になりたい」というか「歌手になる」と思いこんでましたね。
「なりたい」じゃなくて、「なる」だったんですね。
香川:地元の夏祭りで恒例の子ども会対抗のカラオケ歌合戦というのがあって、毎年参加していたんですけど、僕のいるグループがいつも優勝したんです。僕は歌の担当で、家族も地域の人たちも「うまい」ってほめてくれるし、優勝するし。それで「俺って世界一、歌がうまいんだなあ」って(笑)。で、歌手になるぞ!と。
その発想が子どもらしくて最高です(笑)。香川さんといえばやっぱりギターですが、ギターはいつ頃から?
中学から弾き始めたギター。今では香川さんのトレードマーク。
香川:中学生から弾き始めて、当時流行っていたゆずの曲を毎日練習してましたね。高校時代は地元の青少年の音楽活動をサポートしている音楽系サークルに所属して、バンド活動を始めて。地元の公民館なんかで歌わせてもらったりしていました。
そのサークルはどういった方々が運営されていたのですか?
香川:スタッフは地域のおじちゃん、おばちゃんたちで、僕らが楽しみながら音楽活動できる居場所をつくったり、いろんな面で支えてくれました。当時もありがたいなあと思っていたけど、大人になった今、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。自分もあのときのおじちゃんやおばちゃんみたいに、子どもたちの夢を応援できる大人でありたいと思いますね。
「子どもの夢を応援できる大人でありたい」と香川さん。

価値観がガラッと変わった介護体験

歌手としてメジャーデビューする前は、介護のお仕事をされていたそうですね。
香川:高校を卒業後、はじめは一般企業に就職して、余暇を使って音楽活動を続けていました。そんなとき、とある方から自分が働いている福祉施設で歌ってもらえないかと声をかけていただいて、ボランティアで歌いに行くことになったんです。歌ってみるとみんな喜んでくれるし、自分もすごく楽しくて。そのうち介護の仕事にも興味が湧いてきて、思い切って介護職に転職することにしました。
再就職した福祉施設はいわゆる「重症心身障害児・者福祉医療施設」だったそうですね。
香川:高齢の方もいましたし、重度の知的障害に加え身体障害も抱えたほぼ寝たきりの子どもたちを預かっている施設でした。僕が担当した子どもたちもほぼ寝たきりで、自分でできることといえば呼吸とかまばたきくらい。生きることの意味を突きつけられるようで、希望して入職したものの、はじめの頃は気が滅入ってしまうことも多かったです。
その気持ちはどう切り替えていったのですか?
香川:子どもたちと接しているうちに、介護って与えるばかりじゃなくて与えられることも多いことに気づきました。寝たきりで、暑くても寒くても表情さえ変えることのできない子どもとも、確かに心が通いあう瞬間があるんです。あるとき「自分のしていることは一方通行じゃないんだ」と思えたときがあって、その瞬間、自分の中の価値観がガラッと変わったというか。この経験で感じたことは、今も自分の核になっていると思います。

歌のパワーを再認識、そして歌手の道へ

歌手を本格的に目指したのは、その経験からでしょうか?
香川:介護の合間や夕飯前のちょっとしたすきま時間に、部屋を回ってベッドサイドで歌ったりしていたんですが、あるとき、僕の歌を聴いて突然わあっと泣き出した子がいたんです。その子だけじゃなく、歌を聞かせると涙をこぼしたり、何かしら反応があることが何度かあって。それで「やっぱり歌の力ってすごいな」って。
歌のパワーを改めて認識できた瞬間だったのですね。そしていよいよ歌手の道へ。
香川:はい、まずYouTubeに歌の動画を毎日アップして、チャンネル登録者が目標の3,000人以上になったところでオリジナルCDをつくって、全国を回るライブツアーに出ました。年間200本以上、ほぼ毎日どこかでライブするという生活を2~3年続けたかな。
それは、なかなかハードですよね。
香川:ツアー内容の企画から会場の交渉、宿泊の手配まで全部自分でやるので体力的にはしんどかったけれど、ファンになってくれた人が家に泊めてくれたり、ご飯を食べさせてくれたり、家族のように受け入れてくれて。その方々とは今も交流があって、会いに行くときは「ただいまー」って帰る感覚なんですよ。
2017年頃のライブの様子。
全国に香川さんのふるさとがある、みたいな?
香川:そうそう! すごく幸せなことですよね。メジャーデビューのきっかけになった『歌王2016』というオーディション番組に出演したときも、決勝戦の審査は20名の審査員と番組視聴者からの得点の合計で決まりますが、それまでどれだけ活動してどれだけの人と縁を紡いでいるかも勝負になってくるんです。僕は他のどの参加者よりも全国を回っていたし、だからいろんな人が応援して盛り上げてくれて。その力は優勝を大きく後押ししてくれたと思っています。
『歌王2016』でグランプリを獲得したときのトロフィー。
香川さんがグランプリを獲得したときは、廿日市もすごく盛り上がりました!
香川:地元の方の応援も本当に心強かったですね。このNICOというお店でも、決勝戦の放映日にたくさんの人が集まってパブリックビューイングをしてくれていたので、グランプリを獲った瞬間、頭の中で「今頃、NICOはめっちゃ盛り上がっとるんだろうな。あっち行きたいなあ」なんて思ってました(笑)。
『cafe bar NICO』のオーナー、二反田和典さんとはもう7〜8年の付き合い。

子どもたちに見せたい景色がある

全国で活躍する香川さんですが、はつかいち応援大使も務めるなど、地元に根ざした活動も積極的にされていますよね。
香川:地元のコミュニティラジオ「FMはつかいち」の番組は今年7周年を迎え、2019年には念願だった世界遺産・嚴島神社高舞台で単独の奉納コンサートも実現しました。このときは廿日市にゆかりのあるバンドメンバーとともに、宮島学園の子どもたちを巻き込んで一緒に歌をつくって歌いました。
嚴島神社の高舞台で歌えるなんて、子どもたちには本当に貴重な経験ですよね。
香川:1つの目標に向かってみんなで練習したり、大きな舞台に立つというのは、子どもにとってやっぱり大きな出来事なんですよね。この出演をきっかけに抱えていた問題を解決できた子どももいたみたいで、そういう話を聞くと改めてやってよかったと思います。またこういう機会をつくって、廿日市の子どもたちに舞台の上からしか見えない世界を見せてあげたいですね。
嚴島神社奉納コンサートの様子。隣は広島出身のコントラバスソロアーティスト、能見誠さん。
夢を叶えたいと思っている人、はたまた夢なんてない、見つからないという人もいると思うのですが、そういった人たちにメッセージをぜひお願いします。
香川:夢が叶う叶わないはあまり重要なことではなくて、夢を追いかけていることが純粋に楽しいんですよね。僕自身ずっと夢を追いかけてきて、だから出会えた人もいっぱいいるし、いろんな体験ができた。その楽しさをたくさんの人に味わってほしいと思っています。
香川さん自身のこれからの夢は、何でしょうか。
香川:いつか武道館ライブを実現して、その凱旋ライブとして地元で大きなステージをつくりたいんです。嚴島神社の奉納コンサートのように子どもたちにステージ上に出てきてもらって、そこからしか見えない景色や空気を肌で感じさせてあげたい。その経験が、夢を見つけ、追いかけるきっかけになれば、こんなにうれしいことはないですね。
香川さんの9th ALBUM『AM8:00』。

夢を追い続けたからこそ、出会えた人たち。そして夢を叶えてこそ、見えてきた景色。「夢を追いかけるって、純粋に楽しい」。そう話す香川さんの笑顔は眩しいくらいにキラキラ輝いています。コロナ禍にあっても広島という場所から全国、世界に向けて発信できるチャンスと捉え、積極的にライブ配信をしている香川さん。武道館という大きな夢に向かって、歌手・香川裕光の挑戦はまだまだ続きます。

シンガーソングライター

香川 裕光さん

廿日市市出身。会社員、介護職員を経て、全国をライブ活動でめぐりながら優しい歌声と豊かな表現力でファンを増やす。『歌王2016』でのグランプリ獲得後、メジャーデビュー。

cafe bar NICO

廿日市市廿日市1丁目8ー1-2F

TEL.0829-20-5023

OPEN.14:00~24:00(L.O.23:30)

定休.月曜

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