18歳の頃に登山にハマり、それから長く山と深く結びついた生活を送ってきた、アウトドア専門店『アシーズブリッジ広島店』店長の胡田一生(えびすだ かずお)さん。登るたび山の異なる魅力に気づかされて、さらに次、さらに次へと足が向かうといいます。「山登りって決して楽じゃないから、自分と向き合うし、心の部分の話にもなってくるよね」と胡田さん。40年近いキャリアを持ちながらもなお惹きつけられる、ライフワークである登山や山の魅力について教えてもらいました。
山が生活の礎だった
胡田さん、現在はこの『アシーズブリッジ広島店』で店長をされているとのことですが、働かれて長いんですか?
胡田:ここはもう17年ほどになります。僕は35年くらい登山とかアウトドアに関わる畑にいて、気がついたらこの店で勤務するのが一番長くなっていますね。
登山やアウトドアに興味を持ったのはいつ頃だったのですか?
胡田:いつと言われたらすごく曖昧なんですけどね。我々の小さい頃は街遊びというのはそんなになくて、住んでいたところもまだ道路が舗装されていなかったくらいだから。小学校時代から友達同士でキャンプに出掛けたり、釣りをしてそのまま魚を焼いて食べたりするっていうのは特別なことではなかったんですよね。
今で言うアウトドア、そういうことがもう日常の遊びだったんですね。
胡田:そうそう、だから特別にアウトドアを意識したことはなかったですね。ただ親父は山が好きだったから、軽トラに乗って近隣の山へよく一緒に行っていた思い出はあります。アウトドアへの目覚めもなく、暮らしの中になじんでいたというような感じです。
じゃあ、本格的に山に登り始めたのは大人になってから?
胡田:18歳のときに北アルプスの山小屋のアルバイトを経験してから、山にハマりました。最初は単独で手あたり次第に北アルプスを登りまくっていて、初めての雪山が正月の白馬岳単独登山などという、今思うと無謀なことをしていましたね。このままだと危険だと思い、もっと山の勉強をするために社会人の山岳会にも入らせてもらいました。だんだんエスカレートして1年のうち1/3は長野県に行って、もう向こうに住もうと思っていたくらいだったんですよ。でも家庭の事情があったので、出身の広島に戻ってきて今に至ります。
胡田:登山とスキーの専門店で働いたり、長野県で山小屋や山の遭難救助の仕事をしていたこともあって。生活の礎は山だと捉えていた頃もありましたね。
縦から横へと広がっていく山の楽しみ方
それほどの現場経験を持っていると、今のお仕事をされるうえでは大きいのではないですか?
胡田:アウトドアと登山は、非常に似通っているんだけど別物だと思っていて。アウトドアは物と知識の文化だけど、山は経験の文化なんです。現場に行かないと物は販売できないと考えているので、空いた時間があればなるべく山に行くようにしています。
胡田さんが感じられる山の魅力ってどんな部分になりますか? 年齢とともに変わるものでしょうか?
胡田:年齢を重ねると、やっぱり体力とかそういう部分が若い頃より落ちてくるけど、でも楽しみは広がったなと思っているんです。ひと言で山といっても里山もあれば岩もあるし、雪、森もあるよね。若い頃は岩と雪が、自分の身の置く場所だと思ってた。ハイリスクだけど高揚感につながるような感覚があって。
ある種、動物的な感覚ですよね。より高みを目指してしまうような。
胡田:そうそう、山はいつも必ず登れるわけじゃなくて途中で帰って来たこともあるし、ちゃんと登り切れるときもあるし。大げさに言うと、リスクの高い登り方をして危険な目に遭いながらも、登り切った先に広がる絶景とかを見ると高揚感があって。また次も山に向かってしまうんですよ。
ちなみに、これまでに遭った危険な目っていうのはどんな感じだったんですか?
胡田:20代の頃、黒部の方にある岩壁を単独登攀(とうはん)していたとき、40mくらい落ちてしまってロープにぶら下がったまま一晩過ごしたことがあるんですよ。
胡田:そのときは長野県で遭難救助の仕事をしていたから、そこで自分が助けを呼ぶわけにいかないと思ってなんとか自力で降りて帰ったけどね。あと、雪山で嵐になっちゃって3日間くらい動けなくなったこともありました。廻りが雪崩の巣になり、一緒に行ったパートナーと、翌日もこの状況だとまずいから、何か書き残しておこうかと話したこともあるくらい。
胡田:そういう経験もあるし、ちょっとヒヤッとしたことならもっとありますよ。当時は今ほど天候のこととか危険個所とかの情報が多くなかったから、綱渡り的なことをしていた人は多かったんですよ。もちろん今はそういう登り方はしていないし、おすすめもしません。
そんな時期を経て、今はどんな登り方をしているんですか?
胡田:今の会社に入ってから屋久島に行く機会があって、そのときに森もいいなって感じたんですよ。森って植物の世界だから、木の種類だとか何年生きているんだろうとか、花の名前とかにも興味を持つし。
確かに岩や雪と比べると、森には生き物が多いですね。同じ山でも質の違うものがあるというか。
胡田:そうですね。屋久島をきっかけに、あとは年齢もあるのかもしれないけど40代後半くらいからは、芳醇な命の泉のような森とか里山に魅力を感じるようになりました。感覚的には、山の世界が縦じゃなくて横に広がっている感じ。年齢的にもこれから縦に広げていくことは難しくなるんじゃないかと思うんだけど、山を生涯のライフワークとして橫にはどんどん広げていきたいですね。
物だけじゃなく、情報を提供する場に
特に近年はアウトドアブームが盛り上がっていて、お店に来られるお客さんも増えていますよね。
胡田:個人的には、アウトドアを始めるのも山に向かうのも、きっかけはミーハーな感じでいいと思うんですよ。何事もやってみないと分からないしね。
最近だと、服とかキャンプグッズなんかのアイテムからアウトドアの世界に入る人も多そうですしね。
胡田:そうですね。あと最近は旅行に行きにくいということもあって、近くの山に登って自然の中で過ごそうかという方も増えてきている印象がありますね。例えばですけど、山登りを初めてみようという方には、こんな感じで登山靴をおすすめしています。
胡田:すでにキャンプとかアウトドアの経験がある人やマニアックな方向けのアイテムも多くて、例えば寝袋なんかは試してみることができますよ。やってみますか?
胡田:僕自身も長くこの世界にいるから自分でもたくさん山を登っているし、お客さんとのやり取りの中で山の情報をたくさん聞いてきました。ここは小売店だから物を販売する場所にはなるけど、それだけじゃなくて、山とか遊びの情報を得る場っていう気持ちで来てもらうといいのかなと思うよ。
今はSNSでいろんな情報が簡単に手に入れられるだけに、経験値の高いプロの人に正しい情報を教えてもらえるのはありがたいですね。
胡田:情報化社会だからSNSとかでパッと見て、こんな軽装で登れるんなら自分でもできるんじゃないかと思ってしまう。そういう発信の仕方は危ないよね。確かに昔と比べて今は装備も良くなっているし、山の登り方のセオリーも出来てきたから事故や遭難のリスクは減ってきたけど、気をつけるべきことはちゃんとあります。安全に楽しめる兵法を一緒に考えていきたいなと個人的には思っています。
楽ではないのに山を登る理由
先ほど山がライフワークというお話しもありましたが、胡田さんご自身はこれからどんな風に山を楽しんでいきたいですか?
胡田:今から10年後とかがどうなっているかというのは自分でもすごく楽しみにしているんですよ。とにかく体力だけは落とさないようにしています。特に昔は怪我が多かったから。
登山って、もっと上の年齢の方でも楽しんでいるイメージがありますね。
胡田:今は80代の方でもどこまで登れるかなって言いながら挑戦している方が多いですね。やっぱりそういう人たちにはパワーがあると思う。登る目的は人それぞれで、近くの山を毎日のように登る人もいれば、宗教的なハートで登る人もいて、それもまた面白いところよね。
山はそういう面もありますよね。寺社仏閣とかも多いから信仰の対象だったり、自然崇拝だったり。
胡田:山を登る行為ってすごく非生産的で、しんどくて苦行みたいな部分もあったりして、決して楽ではないですよね。じゃあ何のために登るのかというと、そういう部分に答えがあるのかもしれないし、自分自身と話しながら登っているような感覚もあるし。そのへんは、僕もまだ明確な答えは出ていないんよ。
胡田:そうですね、そういう意味では山登りっていうのは心のあたりの話でもあるのかなと。そろそろ考えていこうかなと思っています。
まだ見ぬ何かに惹きつけられ、「もういいかなと思っても、結局また山に行ってしまうんですよ」と、まだまだ山へのあくなき探求心を燃やし続ける胡田さん。その時々の自分の年齢や環境、経験次第で、さまざまな新しい表情に触れられるのが山の魅力でもあります。少しでも登山に興味を持ったら、今以上に山の世界に浸りたくなったら、ぜひ胡田さんのもとを訪ねてみてください。