広島土産の一つとしてクリームせんべい「宮島さん」をつくっている巴屋清信。広島市中区舟入南に本店と工場を構え、手焼きの技術によって生み出されるおいしさを、広島から全国へと届けています。2010年には、瀬戸内海産の海鮮をプレスした「海鮮しぼり焼」を販売。近くに牡蠣打ち場を持つ牡蠣養殖業者とともに切磋琢磨してつくりあげたという海鮮しぼり焼の味わいを広く伝えようと、さまざまなことに挑戦しているといいます。商品開発の経緯や新しいチャレンジ、今後の思いを、取締役社長の清信浩一さんに尋ねました。
思わぬきっかけで廃業の危機に
70年以上の歴史がある巴屋清信さんですが、創業のきっかけは何だったのでしょうか?
清信:私の本家はお寺で、たまたま隣がせんべい屋だったんですよ。お寺には地域の人がお米や小麦をたくさん持ってきてくれていたので、頂いた食材を使って、せんべい屋のように見よう見まねで焼いて、子どもたちに食べさせていたのが巴屋清信の始まりです。
じゃあお寺の隣がせんべい屋さんじゃなかったら、巴屋清信はなかったかもしれないんですね。
清信:そうですね。最初は清信製菓という名前で営業していました。お米を使用したおかきではなく、小麦粉を使ったせんべいを、大阪から九州までのスーパーに並べるお菓子としてつくっていたんです。
清信:1967年に、JRからお土産用のお菓子をつくってくれないかという依頼があって生まれました。せんべいの間にクリームを挟んで、「宮島さん」という名前で販売し始めたんですよ。結構売れ行きがよくて、これをきっかけに販売場所をスーパーからお土産屋にシフトしていきました。
清信:宮島さんの売り上げは伸びていたんだけど、1980年代に、お笑いコンビB&Bの「モミジまんじゅうー!」というギャグが大流行したんですよ。それ以降、「広島のお土産といえばもみじ饅頭」というイメージがより強くなって、しばらくはその一強時代が続きましたね。
清信:そうですね。これをきっかけにお店の売り上げが大幅に落ちていって、廃業の危機に直面しました。当時、私は神奈川でサラリーマンをしていたんですけど、先代から状況を知らされて、このお店をなんとかしたいと思って広島に戻り、会社を継ぐことに決めました。私が手を挙げなかったら、あのとき本当に廃業してたかもしれないね。
なるほど。そうした危機を乗り越えて今があるんですね。
せんべい屋と牡蠣養殖業者、それぞれの強みを生かして新商品開発
広島に帰られてから、新しいチャレンジや大きく変化するきっかけとなったことはありますか?
清信:私が社長になる前の2007年ごろに、江波にある山廣水産という牡蠣養殖業者が牡蠣でせんべいをつくろうとしていたんです。でもなかなかうまくいかなかったみたいで、せんべい屋である私たちのところに声をかけてきてくれて。お話をいただいたときに、「これは売れるかもしれない」とビビッときて、やってみようと思いました。
「海鮮しぼり焼」誕生のきっかけは牡蠣屋さんだったんですね。
清信:そうそう、それから山廣水産さんと一緒にたくさん試作しました。せんべいを焼いている工場で牡蠣も焼いていたので、匂いが混じって親父たちに怒られたりもして(笑)。
甘い匂いと海産物の匂いは全然違いますもんね。開発していくなかで、どの部分が難しかったんですか?
清信:「海鮮しぼり焼」というのは、素材の水分をしっかり抜いて焼くことが大きなポイントなんですが、牡蠣の場合は、内臓にある水分を抜いて、パリパリに焼き上げるのが最初難しかったですね。ちょっとでも水分が残っていると、食感に影響が出てしまうんですよ。
なるほど。牡蠣に合わせて、職人の技術が必要になってくるんですね。
清信:そうなんですよ。あと冷凍の牡蠣は一切使用していないんです。一度試してみたんだけど、全然おいしくなくて。
冷凍だと味が落ちてしまうんですね。生牡蠣を使用するってことは、採れない時季がありますよね?
清信:そうなんですよ。牡蠣が採れるシーズンは11月下旬から4月下旬まで。季節限定じゃなくて通年で販売したかったから、4月の終わりにはすべて製造を終わらせて、5月から11月までの間もちゃんと販売できるようにしたんです。
シーズン中は多いときでどのくらいの量を1日で焼いているんですか?
清信:結構な量なんですよ。商品にしたら1日で600~700箱くらいできるかな。
清信:山廣水産で採れた牡蠣を一気に下処理して加工することで、うまみを最大限に生かした商品になるんです。牡蠣を使った商品や料理はたくさんあるけれど、海鮮しぼり焼はそのどれよりも一番濃厚に牡蠣の旨味が味わえると思うよ。
清信:さらに鮮度のいい生牡蠣の味わいをそのままお届けするために、おいしく食べてもらえる期間を見極めて商品のパッケージ技術も磨きました。お土産として販売していくためには、今日焼いて明日食べるっていうわけにはいかないので、それをクリアするためにいろいろな研究機関にも相談しに行ったりしました。
確かに。何か月も保つ必要がありますもんね。商品として完成するまでにはどのくらいかかったんですか?
清信:完成までは約1年半かかりました。販売し始めて今ではもう11年経つけど、他のどこもつくれないせんべいだと思っていますね。山廣水産とお互いでつくり上げてきたものなので、山廣水産の牡蠣でしかこの商品はつくらないって決めています。なんかもう親戚みたいな感じです(笑)。
全国へおいしさを届けるきっかけづくり
清信:牡蠣のしぼり焼が完成して以降、生しらすやサヨリ、でべらなどの瀬戸内の海鮮を使用した、他のしぼり焼も製造しました。
たくさん種類があるんですね。これらの海鮮しぼり焼は、数々の賞を獲得していると伺っています。
清信:「ぐるなび 接待の手土産」コンテストで何度か賞を頂きました。広島だけではなく、だんだん東京でも知名度が上がってきていて。
コンテストへはご自身でエントリーをして出場されたんですか?
清信:そうです。ぐるなび以外にも、食のコンテストにいくつか出場しました。とにかくおいしい商品を全国の人に知ってもらったり、食べてもらうきっかけをつくりたいと思って。結果として、エントリーしたコンテストのほとんどが入賞したんです。
清信:受賞して以降、海鮮しぼり焼の詰め合わせが売り上げの8~9割を占めるようになりました。あと、この商品はよくお酒のおつまみとして買っていただくことが多いんです。
清信:今ちょうど牡蠣の海鮮しぼり焼を焼いているので、ぜひ出来たてを食べてみてください。
清信:そうでしょ。実は海鮮しぼり焼牡蠣の最初の商品名は「牡蠣そのもの」だったんですよ。
清信:でもその名前のときはなかなか売れなくて。いろいろ商品名を考えていく中で、生まれたのが今の商品名、海鮮しぼり焼牡蠣なんです。牡蠣の水分をしぼりながら焼いていくイメージから、「しぼり焼」という名前にしたんです。
えぇ!そうなんですか。濃厚な牡蠣の旨味をだしにも生かせるのかと思いました。清信さんのオススメの食べ方はありますか?
清信:天ぷらにしたら美味しかったよ。あとは軽くオリーブオイルをつけて焼くのもオススメかな。
「しぼり焼」といえば巴屋清信といわれるように
2020年8月にクラウドファンディングを行っていましたね。
清信:老人介護施設からアルコール消毒液が不足しているというお話を聞いて、私たちの商品を販売して何かの手助けになればと思って始めました。ちょうどその時期にしぼり焼牡蠣の在庫もあったので、クラウドファンディングを利用して商品を販売し、無事にアルコール消毒液を寄付することができました。
山廣水産さんや介護施設の方など、皆さんからの清信さんへの信頼が厚いですね。
清信:私自身、いろいろなことに挑戦するのが好きなので、とにかく自分でできることを探したり、お声がかかったら何でもやってみようと思っています。また、広島には「しぼり焼」があるということをどんどん広めていって、何でもパリパリに焼きあげる会社にしていきたいです。新商品の開発も現在進めているので、こちらもぜひ楽しみにしていてください!
会社を継いで以降、焼きの技術を大切に新商品の開発などに取り組んできた清信さん。取材を通して、周りの方から頼られる清信さんの人柄や存在感も伝わってきました。山廣水産さんからの相談をきっかけに、自分たちの技術やアイデアをかけ合わせて生まれたしぼり焼で、今以上に地元・広島の魅力を発信していきます。