学校法人三幸学園 飛鳥未来高等学校 広島キャンパスの教諭で、NPO法人グリーンリボン推進協会広島支部 支部長も務めている森原大紀さん。教師としての人生を楽しみにしていたときに突如襲ってきた病。心臓移植を受けドナーの方と二人三脚で歩む森原さんがグリーンリボン活動を通して伝えたい思いを尋ねました。
レスリングがきっかけで高校教師に
森原:小さいときは水泳やレスリング、空手、ギターなどいろんな習い事をしていました。
森原:いろんな経験をさせてもらいましたね。その中でも一番長く続いたのが小学5年生から始めたレスリングで。大学にはレスリングで推薦入学ができて、自分にとって誇れるものになっていました。
森原:大学では教員免許を取ったんですけど、本当に自分のやりたいことが見つからなくて。いろいろ考えた結果、カナダ留学に行こうと決めました。僕の家族はよくホームステイの受け入れをしていて、幼少期からいろいろな国の人が家に来ていていたんです。だから多文化には興味があって、海外でいろいろなことを学んでみようと思いました。
森原:約1年7ヶ月滞在したんですけど、本当は日本に帰らず、そのまま移住しようかなと考えていたんです。
森原:家族には9か月くらいで帰る約束をしていたんですけど、出発した後に帰りのチケットは捨てました(笑)。
覚悟をもって行かれたんですね。それでも帰国したのはどんなきっかけからですか?
森原:広島の高校で女子レスリング部を立ち上げるというプロジェクトがあって。広島にゆかりがあり、体育以外の教員免許を持っていて、レスリングを教えられる人材が必要ということで、僕に依頼があったんです。それにチャレンジしたいと思い帰国を決断しました。
森原:そうですね。何もかもが初めてだったので難しい部分も多々あり、とにかく必死でした。
ご縁もあり高校教師になったわけですが、やってよかったと思うことはありますか?
森原:生徒たちがいろいろな人との関わりの中で成長していく姿を見られるのは、教育していくうえで良い部分だなって。教育を通して人にいい影響を与えることができたらいいなって思います。
家族の支えが生きる原動力に
森原さんは心臓の病気を発症されたとうかがっています。
森原:教師になって2年目の冬から体調が悪くなってきて、最初は普通の風邪だと思っていたんです。でも全然治らなくて、息がしづらくなって苦しかったので、近くの病院で検査を受けたら「ぜんそく」と診断されました。
森原:そうなんですよ。その後も体調が悪くなる一方で、ある日実家に帰って、うとうとしていたら息が止まっていたみたいなんです。その異変に気づいた家族と一緒に再度病院に行ったら、「特発性拡張型心筋症」と診断されて、その日から緊急入院しました。気持ちの整理が全くつかない状態でしたね。
森原:僕の場合、心臓がほぼ機能していない状態で、広島での治療は難しい状況でした。入院して2ヶ月が経ったころ、広島の医師が大阪の大きな病院で診てもらうよう勧めてくれたので、いざ大阪に行ったら、すごい重症だったみたいで。
大阪に行ってなかったら症状の重さに気づけなかったかもしれないんですね。
森原:そうですね。検査してもらったら、他の臓器にも影響が出ていて、補助人工心臓を入れることになりました。血栓だったり、脳出血などの合併症を引き起こしやすい状態だったので、恐怖と戦っていましたね。
そうだったんですか。入院生活を送っていく中で励みになったことはありますか?
森原:家族の支えが一番力になりました。当時、付き合っていたイギリス人の彼女が「私は今あなたのそばにいたいからイギリスには帰らない」って言ってくれたり、母が僕の足をさすりながら「何があっても私が守る」って言ってくれたのがとてもうれしくて。
森原:そうですね。家族のために頑張ろう、やるしかないという思いでした。なにより家族を悲しませたくないなっていう気持ちが強かったです。
心臓移植が決まったのはいつごろだったんでしょうか。
森原:病気になって心臓移植待機登録をして、4年経ったころに移植の順番が来て、大阪の病院で手術をしました。
4年間ずっと不安な気持ちでいっぱいだったんですね。移植が決まった時はどのような心境でしたか?
森原:移植を待っている時は、心臓移植を必要とする人たちがたくさんいる中で、自分が移植を受けていいのかっていう葛藤もあり、複雑な気持ちになる時もありました。そんな時、元教え子に「臓器提供はドナーの方の意思とそのご家族の決断で行われるのだから、先生はその気持ちにしっかり応えて移植を受けないといけないと思う」って言われたことがあって。その言葉にはすごく救われましたね。実際に移植の順番が回ってきた時は、自分でも驚くくらい静かな気持ちで、ドナーさんとご家族の想いをしっかり受け取って生きていきたいと思いました。
当事者の言葉で伝えたい
森原さんはNPO法人グリーンリボン推進協会広島支部 支部長も務めているとのことですが、この活動はどういったことをされているのでしょうか?
森原:移植医療の普及啓発のために、皆さんが参加できるイベントやセミナー、講演会などを行っています。
森原:自分自身が病気になって、インターネットでいろいろ調べていく中で、こういった活動があることを知りました。この活動のことを妻や友人に話したら、自分の声や思いをブログに書いて、たくさんの人に届けてみたらって勧めてくれたんです。
森原:やっていくうちに「支えになった」「勇気づけられた」「知らなかったことが知れた」っていうコメントをいただくようになって。何も知らないまま病気になった当事者である僕だからこそ、伝えられるものがあるのではないかと思い、グリーンリボン活動に携わるようになりました。
ブログがこの活動の始まりだったんですね。グリーンリボンの推進協会はもともとあった団体なんですか?
森原:当時はなかったです。FacebookでたまたまNPO法人グリーンリボン推進協会という団体が発足するのを見つけて。そこから音楽関係の仕事をしている友人と一緒にこの活動を広めていくためにたくさん話し合い、音楽などを通じてグリーンリボンを知ってもらうきっかけをつくるイベントを企画しました。
広島の形を全国に届けたい
グリーンリボン活動をしていく中で心境の変化などはありましたか?
森原:ゼロからのスタートだったのでしんどいこともたくさんありましたが、その分仕事では絶対出会えない人との関わりが増えたり、年々たくさんの方が協力、参加してくれたりするのはとてもうれしく思いますね。そこから参加した人たちが自分たちでできることを考えて活動してくれているので、本当にやってよかったなって思います。
皆さんにいい影響を与えることができていますね。今後、グリーンリボン活動をどのようにしていきたいですか?
森原:地道に今の活動を続けていき、たくさんの人に知ってもらうためのきっかけづくりができたらいいなと思います。移植者だけでなく、一般の方が気軽にそういった活動ができるような広島の形を全国に広めていきたいです。また命の大切さ、家族の大切さっていうのはみんな共通だと思うので、それを改めて知るきっかけを提供したいです。
森原さん自身、今後挑戦してみたいことはありますか?
森原:新しい心臓を頂いて僕は生まれ変わったので、もう一度、スポーツや海外旅行などいろいろなことにチャレンジしていきたいですね。そして今まで自分を支えてくださった方々への感謝の気持ちを忘れず、これからもドナーの方と一緒に二人三脚で歩んでいきます。
家族や友人など多くの人に支えられながら、病気と向き合ってきた森原さん。グリーンリボン活動を通して、命・家族の大切さを当事者である森原さん自身の言葉でこれからも伝えていきます。