2歳のとき左手関節を離断する障がいを負った、パラ陸上男子の白砂匠庸(しらまさ たくや)選手。高校生のときに障がい者スポーツに出合い、地元である広島県北広島町を拠点に、初戦から素晴らしい記録をたたき出すなど、パラ陸上界に旋風を巻き起こしました。現在では日本を代表する選手となり、世界を目指している白砂さんに、障がい者スポーツに対する思いを尋ねました。
陸上の楽しさを知った中学の夏
白砂:そうです。農作業の機械に手を入れてしまって、左手関節から先を失いました。今でも記憶に残っていますね。でもその当時は、「僕の左手なくなっちゃった」という軽い感じで受け止めていたので、精神的なショックはあまりなかったです。
そうだったんですね。その後、幼少期はどのように過ごされたんですか?
白砂:祖父や父親が花田植(はなだうえ)や神楽(かぐら)をやっていた関係で、伝統芸能を幼少期から始めました。両方とも現在も続けています。
私も神楽をやっているのでなんだか親近感が湧きます。現在、神楽ではどんな役をやっているんですか?
白砂:主にはお囃子や鬼をやっています。体格上、神や姫はやらせてもらえなくて(笑)。
白砂:小学校卒業時で169cmありました(笑)。中学・高校でも身長が伸び続けて今は182cmです。
それはできる役も限られてきますね。今度、白砂さんの舞いを見てみたいです。
白砂:中学生のときです。当時は全く関係のない卓球部に所属していました。夏に郡の陸上大会があって、僕が通っていた中学校には陸上部がなかったので、いろんな部からの寄せ集めで臨時の陸上部が立ち上がったんです。そこで初めて陸上に触れて、楽しさを知りました。
なるほど。そのときはどんな種目で出場されたんですか?
白砂:そうです。それから高校で本格的に陸上を始めようと思い、陸上部がある高校に進学しました。そのときは短距離走だけではなく、砲丸投げや円盤投げなどいろいろな種目に挑戦しましたね。
投てき競技と出合ったのはこのタイミングだったんですね。
人生を変えた障がい者スポーツ
通常の陸上競技から障がい者スポーツに移行したのはどんなきっかけからですか?
白砂:広島で有名な陸上の先生に、自分に障がいがあることを相談したら、「障がい者スポーツをやってみないか?」というアドバイスをしてくれて。そのときは半信半疑だったんですけど、とりあえず大会に出てみようと思って出場したのが、僕の障がい者スポーツ人生の始まりです。
そうだったんですね。初めて大会に出場したのはいつごろなんですか?
白砂:高校3年生の夏に、中四国の障がい者スポーツ大会に出場しました。障がい者スポーツは障がいの度合いによってクラス分けされるんですけど、自分がどのクラスになるのかも最初は分からなくて。先生たちにいろいろ調べてもらって、なんとか試合に出ることができたんです。
白砂:もともとは6kg砲丸投げに出場する予定だったんですけど、手違いで7.2kgクラスにエントリーされてて。これは成人男性が投げる重量で、高校生は普通投げない重さなんですよ(笑)。でもそれで出場せざるを得なかったので、なんとかやりきりました。
白砂:投げてみたら日本記録に近いくらいの記録がでて、その大会で優勝しました。中四国の連盟側も「なんかすごいやつがでてきたぞ」ってざわついていましたね(笑)。
えぇ、すごすぎる! 初めて出た大会で、さらに間違ったクラスでのエントリーで優勝は驚きです。
白砂:僕もびっくりでした(笑)。その後、障がい者スポーツでは、砲丸投げをメインにやっていました。この種目でパラリンピック出場を目指していたんですけど、2016年のリオパラリンピックでは砲丸投げがないことを知って。
白砂:そうなんです。パラリンピックはその競技をしている人口によっては、開催されない場合があるんですよ。なので競技人口が多いやり投げへ転向しました。パラリンピックに出場することを目指していたので、種目変更せざるを得なかったですね。
白砂さんは障がい者スポーツを始めたときからパラリンピックを意識されていたんですか?
白砂:最初は障がい者スポーツにどはまりして、パラリンピック、世界大会というよりもただただ楽しいという思いだけだったんですけど、どんどん意欲が高まっていって、パラリンピックに出てみたいという気持ちに変わっていきました。
ひたむきな努力で挫折を乗り越える
白砂:日常用の義手をつけ始めたのは、中学1年生のときです。思春期で人目が気になり始めて、すれ違うときに目で追われるのがすごく嫌でした。でも障がい者スポーツ大会の会場で、選手たちがみんなありのままの姿でいる光景を見て、「義手を外してもいいんじゃないか」「自分の障がいを隠す必要はないんじゃないか」という考えに変わっていきました。
障がい者スポーツに出合って気付けたことなんですね。
白砂:そうですね。今では義手を外して生活していることがほとんどです。現在、義手は神楽や競技に使う道具として使用しています。
神楽用と競技用はそれぞれどういった特徴があるのでしょうか?
白砂:神楽用は本物の手と同じように、しわや指紋まで本当にリアルに入っているんですよ。競技用の義手は、ガンダムみたいにロボット化して見た目もとにかく派手にし、世界に一つだけしかない自分だけの義手をつくってもらいました。
障がい者スポーツをしていくなかで大変だったことはありますか?
白砂:陸上競技は基本スパイクシューズを履くんですけど、アリゾナでの大会のとき、試合当日になってスパイクピンを11mmから3mmに変えてくれって運営側に言われたことがあるんです。
白砂:そうです。変えないと試合に出場できないから仕方なく変更したんですけど、練習投てきの時点で、その3mmピンが全て抜けてしまっていて。それに気づかず、本番1投目を投げた瞬間、足が滑ってしまいました。それがきっかけで投げ方が分からなくなったと同時に、足でブレーキをかけることが怖くなってしまったんです。
普段履きなれたスパイクじゃないと、自分がどれくらいのブレーキをかけないといけないのかが分からず、感覚がずれていくんですね。
白砂:そうなんです。やり投げは陸上の中で一番けがをしやすい競技と言われていて、全力で走って止まるという動作があるので、スパイクがないとブレーキがかからないんですよ。トップ選手は足に1tくらいの負荷がかかるほどの衝撃で。それほどスパイクは重要なものなんです。この出来事以降、約2年間スランプが続きました。練習時も何をやってもしっくりこなくて、長いトンネルを歩いているような感覚でしたね。
そのスランプから抜け出せたきっかけはなんだったんでしょうか?
白砂:2019年に日本パラ陸連の強化指定選手に選ばれて、そこで出会った投てきの総監督やライバルたちから、いろいろなアドバイスをもらったことが大きなきっかけです。練習時にいただいたアドバイスを後で復習できるように、練習風景をビデオで撮影していました。これを繰り返し行い実践していくと、記録がどんどん伸びていって、本来の調子を取り戻しました。
そこから白砂さんなりの投げ方を見つけていったんですね。
白砂:そうですね。スランプ後は、自己ベストを更新することが何よりもうれしくて。単純な競技だけど、次の目標に向かって記録を更新していく、達成感の積み重ねだと感じました。
パラスポーツが「心のケア」にもつながるように
白砂:現在は、みよし運動公園や西条農業高校、広島国際大学など、広島県内の先生に指導してもらって練習をしています。
行動範囲が広いんですね。地元の北広島町から三次や東広島に通われているのには、何か理由があるのでしょうか?
白砂:地元への愛が強いんだと思います(笑)。いろいろな方に支援や応援をしていただいているので、皆さんに恩返ししていきたいっていう思いが強いですね。
素敵ですね。地元を拠点に競技活動をしていく中での良い点はなんでしょうか?
白砂:自分の拠点を完全に固定できることです。地域の人たちとの触れ合いが多いので、より良い関係を築くことができています。現在は子どもたちを対象に陸上教室も行っているんですよ。
白砂:所属している「あいおいニッセイ同和損害保険株式会社」が地方創生活動の一環として、障がい者スポーツや交通安全イベントを行うことに力を入れていて、そこで自分が何かできることはないかって考え始めたのがきっかけです。まずは職場のある三次市から始めて、地元である北広島町やその他地域の学校、イベントなどで講演会や陸上教室を行うようになりました。
そのような活動をしていくなかで、白砂さんはどういった思いを子どもたちに伝えていますか?
白砂:スランプを乗り越えた経験があるからこそ、子どもたちには諦めずに何事にも繰り返し挑戦していくことの大切さを伝えています。
白砂さんが思う、障がい者スポーツの一番の魅力はなんですか?
白砂:障がいをどれだけアピールできるかだと思います。障がい者でもここまでできるんだというところを感じとってもらいたいですね。アンケートで、「困っていることはありますか?」とよく聞かれるんですけど、「困ったことがなくて困っています」って答えていて。日常生活の中でハンデというものを感じないくらい、自分でどうにかやっていこうという意識をもつことが大切だと考えています。
白砂:東京パラリンピックに出場し、現在の日本記録60m65cm以上を出すことを目標としています。また将来的には陸上の指導者になりたいです。障がい者スポーツを広めていくことが、障がい者の心のケアにもつながるよう、今後もたくさん活動していきたいと思います。
障がい者スポーツとの出合いで、人生が大きく変わった白砂さん。スランプに陥りながらも諦めずに努力し、より高みを目指して目標は世界照準へ。今後も白砂さんの活躍が楽しみです。