広島でサンバダンサーとして活動しているEKKOさん。広島を拠点に全国各地のサンバショーへ出演しています。サンバを心の支えに難病を乗り越えた自身の経験から、「サンバのポジティブなメッセージやパワーを届けたい」と熱い思いをもって、さまざまな活動に取り組むEKKOさんにお話を聞きました。
サンバの歴史や文化を背負っていく
EKKOさんがサンバを始めたのはどんなきっかけからですか?
EKKO:サンバをするまではヒップホップをしていて。
EKKO:そうなんです。2008年のフラワーフェスティバルにヒップホップダンサーとして出演したときに、ものすごくきれいな後ろ姿のロシア人サンバダンサーを見かけて。その姿に魅了されて、「私、ヒップホップを辞めて、あの人についていく」と決断しました。
EKKO:はい。その姿が本当にかっこよかったんですよ。でも私はサンバについて何も知らなかったので、インターネットなどでたくさん調べました。サンバダンサーは、サンバの踊りや音楽の歴史・文化を背負って、リオの人たちに感謝をしながら踊っているんです。それを知って、私も歴史や文化を背負ってみたいと強く思いました。
サンバダンサーはそういった思いも大切にしているんですね。
EKKO:広島にはサンバチームがなかったので、まずは音楽を理解するために、サンバで使用する楽器を学べる広島の楽器サークルに通いました。音楽を学んでいくうちにもっともっと知りたくなって、次はダンスが学べる神戸や千葉のチームにも広島から通うようになりました。
通われたんですか!神戸や千葉に移住せず、広島から通うことにこだわった理由は?
EKKO:サンバは老若男女問わずステージに立てる、みんなが主役になれるダンスなんです。そこに魅力を感じたし、当時の広島にはそういったダンスがなかったんですね。広島で生まれ育った私が広島でサンバの魅力を発信していきたいと思ったので、通うという方法を選びました。
なるほど。広島での活動といえば、広島CLiP新聞でも取材させていただいた、大瀬戸千嶋さんとご共演もされていましたね。
EKKO:そうなんです。彼らとは、お蕎麦屋さんで出会ったのがきっかけで共演するようになりました。その他にも廿日市出身のシンガーソングライター・香川裕光くんとも共演経験がありますね~。
EKKO:アーティストはもちろんいろんな人と共演し、どんな形でオーダーをいただいても全部対応して、広島にもサンバダンサーがいるということを多くの方に知っていただけたらうれしいですね。
サンバの「女王」を目指して
EKKOさんは本場ブラジルのリオに修業に行かれたことがあるんですね。
EKKO:はい。 2016年1月から1か月間、リオにサンバの修業に行きました。千葉のチームの監督さんたちが毎年リオに行っているということで、一緒に同行させてもらって。
EKKO:カーニバルの時季って、リオでは空港の中もとてもにぎやかなんですよ(笑)。税関の人がノリノリに歌っていたり、子どもたちが道端で楽器をたたいて踊っていたり、とても楽しい雰囲気でした。
日本では考えられない光景ですね!1か月間どのように過ごされたんですか?
EKKO:寝る間を惜しんでサンバの練習をしていました。カーニバルの時季は毎日どこかでサンバの練習会をやっているんですよ。そこで楽器の演奏とかダンサーの人をずっと観察したり、踊りに参加したりなど、とにかく毎日時間との戦いでしたね。
とても濃い時間を過ごされたんですね。2016年以降も毎年リオに行かれているんですか?
EKKO:あれ以来行っていないですね。でもあの情熱は行かないとわからないので、また機会があれば訪れたいです。
EKKO:サンバダンサーのなかでも「女王」といわれる名誉ポジションがあって。正式名称は「打楽器隊の女王」、ポルトガル語で「ハイーニャ・ダ・バテリア」って言います。
EKKO:女王は100人くらいの打楽器隊を引き連れて、打楽器隊の音を背中で受けながら踊ります。皆さんが注目するポジションなので、‟私の打楽器隊を見てください“ってアピールするんです。
EKKO:でも女王ってチームで一人しかなれなくて。なりたいからなれるというわけではなく、オーディションすら受けさせてもらえないくらい、とてつもなく難しいんです。そもそも私は広島から県外のチームへ通っていたので、チームの女王になれるオーディションを受ける権利すらなかったんですけど、監督が何年も通っているからと2019年の秋にチャンスを与えてくれました。
EKKOさんの熱意が伝わったんですね。結果はどうだったんですか?
EKKO:2020年度の千葉のチームの女王に受かりました。ただ2020年は新型コロナウイルスの影響でなかなか活動ができなかったので、2021年度も引き続き女王として活動させていただけることになりました。
おめでとうございます!何年も通ってこの名誉を獲得できたのはほんとすごいですね。
サンバが難病を乗り越える心の支えに
2014年、難病ギラン・バレー症候群を発症されたとうかがっています。
EKKO:雨の中、名古屋公演・宮島公演を連日でやったときに体調を崩して、その1週間後に体に力が入らなくなるギラン・バレー症候群になりました。
EKKO:そうですね。突然動けなくなって、訳が分からないまま入院して、目もほとんど見えなくなって…。ずっと寝たきり状態でした。
EKKO:いつも全力でステージに立っていたので、サンバが踊れなくなっても後悔はないと思ってはいたんですけど、1ヶ月くらいは毎日泣いて過ごしていました。治療を続けて少しずつ自分でも動けるようになったとき、久しぶりに神戸のチームの先輩と電話したら「EKKOちゃん、すぐサンバを聴きなさい」って言ってくれて。サンバの音楽を聴いてみたら、ほとんど寝たきり状態だった体がバッて動いて。
EKKO:この瞬間にもう一度ステージに立ちたいっていう思いが強くなりました。家族にすぐ電話して、私が使っていたサンバの衣装やシューズなど全部持ってきてもらって。毎朝それを見て、自分の気持ちを奮い立たせてリハビリを頑張りました。絶望からサンバを聴いて立ち直れたこの出来事が、私の人生の転機ですね。
すごい。先輩の一言がなかったら今はなかったかもしれないんですね。
EKKO:本当にそう思います。サンバのリズムとか音色ってすごいパワーがあるんだなってそのときに実感しました。
サンバで元気を届けたい
イベントやステージでの公演のほかに、施設慰問をされているんですね。
EKKO:以前から行ってはいたんですけど、自分が寝たきり、介護を経験してそういう活動をしていくのが私の使命と思って、さらに積極的に行うようになりました。元気になれるための方法ってたくさんあると思うんですけど、その中のひとつにサンバを加えてもらえたらいいなって。
EKKO:介護施設やリハビリテーション、幼稚園など子どもたちの施設にも行っています。介護施設に訪れたとき、車いすで座っていたおじいちゃんが立とうとしたので、手を持って一緒に立ってゆらゆらしていたら、園の職員さんたちが「えっ!?」ってすごいびっくりした顔をしていたんですよ。後で聞いてみたら「おじいちゃん、立てないんですよ」っていうことを教えてもらって。
EKKO:私も驚きました。幼稚園では、小さなマラカスを一緒に作って、リズム遊びをしたり踊ったりしていますね。慰問活動をしていく中で「本当にありがとう」という声を頂いたとき、やってよかったなって安心します。地域に根差したサンバをして子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで手を取り合って楽しんでもらえたらうれしいですね。
EKKO:そうなんですよ。体力をつけるために、日々のトレーニングは欠かせません。
EKKO:サンバのリズムは鼓動と同じだから、音楽を聴くと心臓が元気になるような感覚なんですよ。私自身がサンバの音楽を聴いて奇跡が起こったように、これからも施設慰問を続けてたくさんの人に元気を届けていきたいです。
EKKO:生まれ育った広島で、地元が明るく元気になれるものの一つに、サンバというジャンルも取り入れてもらえるよう、今後もサンバの魅力を発信していきたいです。また、リオのサンバには「地元を愛する」という素晴らしい信念があるので、私もサンバを通して、地元・広島への愛を表現していきたいと思っています。
サンバの歴史や文化を知っていくなかで、どんどんサンバに惹かれていったEKKOさん。EKKOさんの素敵な人柄やサンバに対する熱い思いが取材を通して伝わってきました。サンバの楽しさ、素晴らしさをここ「広島」でぜひ感じてみてください。